父方の先祖は八戸藩二万石の武士でした。
叔母が生前少々先祖自慢をしながら古い書付を残してくれました。
初代 松原丈右ェ門 1790年~1841年 51歳没
禄高 三駄二人扶持
三駄二人扶持とはいか程の禄高なのでしょうか。
一駄は米2俵分(馬に2俵振り分けて運ぶから)一人扶持というのは1人1日に付き5合の米を支給するとうことです。5×354=1770合(=1.77石)*2人扶持はこの倍。 1石=10斗=100升≒150kg 米俵1俵は普通は4斗入り(3.5斗~5斗入りもあった)(ネットから抜粋)
八戸藩の殿様が2万石ですから、下級藩士の生活が、豊かに潤っていたとは思えません
おそらく家人たちは畑を耕して自給自足の生活をしていたのではないでしょうか。
二代 忠豊 1831年~1883年 52歳没
安藤右源田次男
幼少時に初代の養子になったと見られる
初代から家督相続したのは10歳、
その二年後、殿様が参勤交代で、江戸から帰ったので、家督相続の挨
拶に伺候する。
子供役、お目付所、吟味所、鳥見役などを勤める
何度か子供役皆勤につき、褒美をもらっている
19歳で結婚 妻 小林茂市次女まつ
次回に続く