建立以来500年以上だと言う大きなレストランの前で、車は止まる。

せめて旅行中くらい珍しい物が食べたい私は、マトン(羊肉)と野菜の大皿を注文する。

他の人たちはスープ、それに、韓国女性たちは、ビールも付けてと、注文する。

大きな蓋つきの入れ物に仕立てたパンに入ったスープが届く。

私にも持って来たが、オーダーしていないと、返す。

ウマイ、ウマイと皆がスープを食べている間、私はじっと待つ。

やがて色々の野菜が盛られた大皿が眼の前に運ばれる。

炭焼きのピーマン、玉ねぎ、トマト以外は、ジャガイモ、グリーンピース等、カンズメや冷凍物で、アメリカでもありきたりの物である。

まだマトンが来る筈と、パンも食べずに待っていたが、なかなか出てこない。

とうとうウエイターを呼んで、マトンはいつ出来るのかと聞くと、彼は慌てて、マトンもご注文でしたか、早速持って来ますと、言う。また時間がかかるであろうから、もういいと、言って、目の前の大皿のパンを食べる。

おなかが張ってはと、食べずにガマンしていたのだ。

マトンを一人前、野菜の大皿を一人前(いずれもメイン)をオーダーする老婆はボケているんだろうと、ウエイターが気を利かせて、野菜だけ持って来たのであろう。

ちゃんとメニューの写真を示しながら注文したにも関わらずである。(野菜はヴェジタリアン用の一皿であるらしい。)

間違いは誰にもあることと、笑いとばして勘定を払う時、チェックにパンの料金もついているのを見て、パンを食べておいて良かったと思った。ルーマニアのレストランではパンは別料金である。

レストランに入る前から、そこではレイだけが通用して、ドルもユーロも受け取らず、クレディットカードも利かないだろうと、アンドレに教えられていたフヨンが、

"あーっ、お金が足りない。どうしょう、“と声を上げる。

"私たちここで皿洗いして働くから、みんな、先に出て頂戴、”と言う彼女に、

“貸したげるわよ。いくらいるの?”と聞く。

“50レイくらい。”

彼女に50レイ紙幣を渡す。

“レイコは金持ちね。これからも頼むわね、”と言う彼女に、"当てにしないでよ、"と言い返す。

それにしても、レイも持たずに悠々とビールも入れた食事する彼女の肝っ玉に驚く。

私ならカバンの中の非常食だ。

Brasovブラソウと言う町中を歩き回り古い建物を見て歩く、なかなか凝った建物の町だ。B、r、a、s、o、v、r、a、s、o、vと一文字ずつ大きく書かれた看板が立てられてある。

アンドレは、あれを真似て、ハリウッドも看板文字を立てたのだと言う。

Curtea Brasov Hotel というホテルに到着する。二階の私の部屋はまるでジムのように広い。バスルームも広いがシャワーだけだ。

デスクの器に入ったキャンでイーを一つつまんで見る。

不味い。添え木の付いた一尺ばかりの苗木が植えられた鉢が二個置かれてあるのは、豪奢な広い部屋にはチグハグな感じがする。

ツアーに組み込まれたディナーを食べに戸外レストランに連れて行かれる。

スープ、鱈、ジャガイモ、缶詰のフルーツ・カクテル、水という献立。

みんなあまり有難そうな顔をしていない。

ごつごつした木の椅子は恐ろしく座り心地が悪く、その上あたりがイヤに騒々しい。

フヨンがゲームをしようよ、と提案する。

大学時代に良くしたゲームだが、今、誰か(古今・現在)をどこかに招待してディナーを食べるとしたら、誰を招待するか、というゲームだ。

まず最初に自分が言うが、自分はポールだ、と彼女が言う。

えっ、聖書の中のポール?

アレックスが何かポールについて言うが、よく聞こえない。

それに聖書の話は今興味が無い。

どの教会でもソソクサと歩き回り、一番先に出てくる私に、眼鏡の韓国女性が、“あなた何か、信仰している?”と聞いた。彼女の家は祖先代々クリスチャンだそうだ。

実を言うと、どこの教会でも同じように、キリストの誕生、受難、復活の絵が飾られ、その上、ロウソクがガンガン焚かれているので、息苦しく、咳が出て仕様がないので、絵画鑑賞だけで、アンドレの説明も聞かず、直ぐ出てくるのだ。

ゲームなぞ面倒くさいナと、思ったが、イヤだと言う勇気もない。

それぞれ理想の人物を唱えるが、眼鏡さんが、母親が来てまた美味しい物を作ってくれるといいナと、言うのに習って、十四歳の時死んだ父親と今話しをするのは面白かろうと、言った。

フヨンがニックはどうだと、アンドレに通訳させるが、彼はニベも無く、"知らん、"と佛丁面だ。誰か居るだろうと、なおも聞きたがる彼女に、“そっとしておけよ、”とスタンが止める。

アレックスは色々話に聞いた身内の者たちに会ってみたいと、言う。

彼がホテルの朝食の席で打ち明けた話によると、2年ほど前、サイプレス人?(よく聞き取れない)の母親を白血病で無くし、現在父親のギリシャ人とニューヨークで暮らしているそうだ。

お互い癌で身内を亡くした者同士痛みを分かち合い、現在50歳という彼は、死んだ息子(彼には言わないが)と同じ年で、何か通じ合うものをお互いに感じ、その後、彼は何かにつけて私を庇ってくれる。

足場の悪い教会を見学中に、先にたった彼が後ろ手でそっと段差を指し示してくれたり、私のランチの相手がいない時は付き合ってくれたりと、いつも気が付くと彼が側に居る。

 私がトルコに行こうかと思っていると、言うと、彼は、1973年、自分たちがサイプレスに住んでいた時、トルコの軍隊が攻め入って来て、身一つで故郷を捨てなくてはならなかったので、トルコには行きたくないと、言った。

ジャネットはドイツ、アレックスはトルコ、みんな何かしら心に傷をかかえているんだ。

アメリカ生まれだというアレックスは、英語の他に、父の生国のギリシャ語を話し、ジャネットはドイツ語とフランス語を話す。