Mrs Reikoのルーマニア ブルガリア紀行

5月19日

8時に階下で朝食。ニックがニッコリ、お早う、と言う。

今日はブラン城Bran Castleに行くという。

ドラキュラで有名な城だ。途中で寄った町の広場Town squareで換金する

また100ドル代えるのに3枚もの紙にサインさせられた。

1377年に築かれたブラン城は山の上にある。

長い坂道の登り口には、ちょっとした土産物屋の市が開かれている。ハロウイーンで被るような面がたくさん店頭にぶら下がり、ドラキュラ?の面をつけ、魔女が被るような黒い帽子、それに、ヒラヒラした長い衣を着た背の高い男が、何か叫びながらそこらを走り回っている。

手製の物も売っているが、ほとんどがレース編みのテーブルクロスのようなもので、最近のアメリカでは使われないものだ。

それでもミシン刺繍のテーブルクロス・セットを一組買う。

30レイと言われたテーブルクロスを手に取って見ていると、ブースのオヤジさんが、同じ刺繍のテーブルセンターを見せて20レイ、テーブルクロスと、二枚で50レイでどうだと言う。

よっしゃと、50レイ出していると、オカミさんが,これもオマケだと、丸いドイリーを袋の中に押し入れる。

よほどボッて罪悪感があったのだろう。なにしろみんなを待たせてのやり取りなので、いつものように、負けなさいよ、と言う暇も無い。

大道でギターを弾いている男からCDも一枚買った。

ルーマニアン・ラプソディ(狂想曲?)を生み出した国の曲だ、悪い筈が無いと、彼がサインしてくれたものを聴きもしないで買う。たったの8レイ、3ドル足らず。(やはり音色の優しいギターとマンドリンの数曲で、帰ってから何度も聞いているが飽きない。もっといろいろ買って来れば良かった。)

オーナーが代わる度に、改築・増築を繰り返したという、広い広い城内は、曲がりくねった長い回廊が続く。

家具は何も無い。写真を撮るなら30レイだと、言われてカメラは仕舞っておくことにする。

 雪を頂いた山を背景に立つ城は、今また2億ドルで売りに出ているそうだ。

城を出て少し歩いた後、感じの良い戸外レストランでアレックス、フョン、眼鏡女性(とうとう名前を聞かなかった)とテーブルを囲む。

またオーダーでウエイターがマゴマゴした後、出された豚肉料理は割合旨かった。その席でフヨンが50レイ返してくれた。

昼間飲むと暑くなり眠くなるからと、それまで飲まなかったビールを、"今飲まないと、ルーマニアのビールの味を知らずに過ごしそう"と、注文する。同じくビールを注文した韓国女性たちがワイワイ言って応援する。

銘柄など解らぬので、メニューの一番上に書かれているビールを注文した。美味い。

親しくなった仲間の間で会話が弾む。

リタイア後も長いこと一人暮らしなので、失語症にかかってるみたい、とフョンのように滑らかに話せぬことを弁解する。

これでも昔は病院の通訳だったが、この頃は特に新しい言葉がどんどん出てくるので、解らないことだらけだ、と嘆く。

 

フョンが韓国でもそうだと相槌を打つ。

日本では敬語もだんだん無くなるみたい、と言うと、韓国では敬語は未だになくならない。

老人を敬う気風も無くならないと、彼女は言う。

日本では英語の言葉をカタカナで言うことが流行っているが、時にはちょっと解らない日英合成語も飛び出して来ると、言い、例えば、ずっと前だが、カラオケという言葉を始めて聞いた時、長らく不思議に思っていた、と私が言っている時、ウエイターが食物を持って来て、話が中断された。

今では全米、キャラオキーと言われ、当たり前のような言葉なので、みんな興味深深。

"それで、カラオケってどういう意味?“と、ウエイターが立ち去るの待ちかねて、フョンが聞いた。

"Empty orchestra、カラのオーケストラという意味”と、私。

へーっと皆感心する。

調子に乗って、それより最近もっと解んなかったのは、“トラウマ”よ、と言う。トラウマって?と、みな不審顔。

日本語で、トラは虎、ウマは馬なの。でも妹に聞いたら、英語のtrauma (精神的外傷)のことなんですって、と言うと、みなまた面白そうな顔をする。

発音は全然違うが、なるほど字を見るとトラウマともいえる。

でも、もう少し解るように訳せなかっただろうかと、考える。

“トラマ”かな、“ッラゥマ”かなと。

エイ!めんどくさい、“ショック”でいいじゃないか。“ショック”なら英語とよく似た発音で誰でも解る。

私が忘れていた1.5レイを、ジャネットが返してくれる。

背の低い彼女はミニバスから降りるとき、ペタンと床に一度座ってから降りるが、記憶も気力も私より確かだ。

彼女とホテルに3時頃帰ったが、みんなは広場を散歩すると言ってまた歩いて行った。

夜、ツアーに組まれた晩餐のため、イノシシを食べさせるというレストランに連れて行かれる。

狩猟の道具や絵などが飾られたレストランで、場所もイノシシが出そうな山の中だ。

若い頃は、オ・ポサム(タヌキ)まで食べたものだが、どうも野性の匂いが鼻につくのは齢のせいか。

皆は美味しいと言って、赤っぽいいグレービー(肉汁)までパンにつけて食べている。

豆腐のように薄く切った、硬いチーズの揚げたものは、チーズをあまり好まぬ私でも結構イケた。

明日行くブルガリアについて、アンドレが面白おかしく話してきかせる。

なんでも、ブルガリアではルーマニアの反対に、イエスは首を横に振り、ノーは頷くという。そして彼はブルガリア人の鈍感無骨ぶりを話して皆を笑わせる。(アメリカとメキシコのように隣国を良く言わぬのはどこも同じか。)

みんなルーマニアとは全然異なるブルガリアの国民性に恐れをなし、ジャネットなんかは、“なんだか行きたくなくなった”と、言う。

フョンが去年北海道に行った時の話をする。日本食が美味しかったと言う。

運転手に“オツカレサマ”というのに相当苦労したそうだ。

なるほど、外国人には舌が縺れそうな言葉だ。

韓国のソウルではある一軒のうどん屋の前にいつも行列が出来るとのことだ。

そこではたった一種のうどんと、2種類のキムチだけ出るが、とても美味しく、大繁盛していると言う。食べてみたくなった。

預けておいた、物凄く大きな重い鍵でホテルのドアを開け、中に入ってテレビをつける。

ここのテレビは点けたり消したりする度に、黒いカーテンのような部分が、ゆっくり画面の左右で動き、開いたり、閉じたりする。