Mrs Reikoの長編小説      戦争花嫁           

                              青春  10

初めて二人が会ってから十ヶ月ほど経っていた。

それから二人はほとんど毎晩のようにドライヴに出た。

未だ、道路は粗末で、車もあまり通らなかった時代なので、ひと気の無い美しい静かな場所は、野に山に海辺にと、多くあった。

どこにいても二人はいつも熱い眼差しを交わしていた。

オフイスで二人きりの時には、膝に坐らせて“ロッカバイベイビー、”とアメリカの子守唄を歌いながら彼女を赤子のように揺すぶった。

甘い熱愛の時が一年ほど過ぎた。

その間、アンディは周囲の誰彼に臆面もなく瑤子を、自分のワイフだ、と宣言した。

当時、米兵はマッカーサーの許可なくして日本人との結婚はできなかった。

それでも周囲の人たちは、瑤子を彼の妻として接してくれた。

時折、事情を知らぬ兵隊が瑤子に寄って来ると、側の男が、彼女はオハラのワイフだ、と知らせ、相手の男は、そうか、と一礼して立ち去って行く、という具合であった。

マッカーサーは一度、約一ヶ月ほど、国際結婚を許したが、その期間が過ぎたばかりで、また禁止状態が続いている折、二人は次の機会を待つほかなかった。

その間、オハラは結婚のために奔走した。

部隊長や牧師の訓話を聞きに行ったり、瑤子の家の未だに戸主であった伯父や、母に会いに行き、結婚後も仕送りを続けることを約束した。

富田に戸籍謄本、健康診断、警察リポートを翻訳してもらったり、それらをGHQに結婚の申請書と提出したりで、大忙しであった。

それに引替え、すっかり現実的になっていた瑤子は、オハラの愛を信じ、永久に彼と共にいたい、と願っていたが、本当に彼と結婚できる、とは思えなかった。

当時の米国政府の方針を考えると、それは夢物語に近かった。

周囲の多くの女たち、ときには子供までなした女たちが、帰国するボーイフレンドにおいて行かれ、打ちひしがれているのを彼女は冷静な目で見ていた。

若い女を妾のように囲い、期限が来ると、さっさと帰って音信不通になる男たち、そして、ハウス、映画館、カムセリ(家族用食料品販売所)、PXで会うアメリカ女たちの高慢冷酷さを、彼女はあまりにも多く見聞きしていた。

それで常に、アンディが彼女をおいて帰国したら、という仮定のもと、その後の生きかたの思案が脳裡を離れなかった。

その頃彼女は富田の世話で、映画館の他にカムセリのレジで働いていた。

映画館は日本政府が、そしてカムセリはある日本企業が払うという、瑤子にとっては訳の解らないシステムのため、二箇所から出る給料は当然他の女たちの倍以上であった。

だが彼女はいつも、そうすることが当然のように給料のほとんどを母に渡していた。

その頃オハラは一月分の給料をはたいては、シーアスローバックから流行の服や靴を取り寄せてくれていた。

クリスマスの日、アンディは、プレゼントだ、と言って、五センチほどの厚さの日本円の札束を瑤子に呉れた。一ドルが三百六十五円の頃であった。

無表情で「サンキュウ、」と受け取った瑤子を、アンディは戸惑った顔で見つめていた。

服とか装飾品はともかく、現金を受け取ることに、彼女は抵抗を感じたのだ。

貰った札束を見て彼女は考えた。女学校も卒業せず、手に技術も無い彼女が一人で生きていく道は限られていた。

メイド、バーのホステス、美容師など、どれも彼女に向きそうになかった。

だがある日、新聞の広告で東京品川の自動車学校が生徒募集しているのを見て、これだ!と思った。タクシーの運転手になろう。瑤子は勇み立った。

それまでにも彼女は、オハラの横でハンドルを廻したり、日本人ガードマンの大きな送迎用トラックを、親しくなった運転手に運転させてもらって、うまいもんだ、と感心されたりしていた。

「自動車学校に二ヶ月ほど行って来たい」と言う瑤子にアンディは、アメリカに行ったら運転しなければならないのだから、と彼女を駅まで送ってくれた。