母と息子のセンチメンタルジャーニー

冬の季節の為か、相当揺れた飛行機は、ロスアンゼルスで1時間以上遅れて出発したにも拘わらず、到着予定時間より30分ほど早く羽田に着いた。全日空と提携しているらしいユナイテッド航空機は、いつものことながら、

ちゃんと予定通りに運んでくれる。カウンターや機内の接客態度は感心しないが、時間厳守のパイロットたちの腕には感心する。

機外に出ると私の名前に様付けしたプラカードをたてたお嬢さんが迎えてくれる。耳から来る眩暈と足腰の衰えの為、近年、空港では車椅子のお世話になっているが、付添人は入国手続きが大分簡単になるので、大喜びだ。

その付添人、トムは自分の大荷物で私がすがりつく手はふさがっている。

私を家まで迎えに来た時の彼の大荷物に仰天した私は、歩行の介添えを頼むことをその場で諦めた。

いざホテルに泊まった時に解った大荷物の内容は、後に述べることにする。

布製の、私の小さい2個のバッグの他、彼の一番小さいバッグを膝にした私を乗せ、車椅子嬢が押し始める。先ずはトイレ。次は彼がチェックした車付きのカバンを受け取りに行かなければならぬ。コンべーや― ベルトの前で大分待つ間、車椅子嬢はニコやかに控えている。人を待たせることが嫌いな私は気が気でない。ようやっと頑丈なプラスチック製の、大きな車付きのスーツケースが現れる。

これをどうやって持つのだろうと見ていると、彼は器用に荷物全部を体に巻き付けるように持つと、Lets goと言う。

トムは親でさえ呆れるほどの大男で、67歳というのに、

1メートル80余の背丈の筋肉隆々とした体格だ。この歳で筋肉を保持しているのは、彼がカヌー漕ぎのクラブに属していて、年中カヌーを漕いでいるからだ。

次に行ったオフイスで、JRの2週間分のパスを貰ってから、両替所に向かう。

規定の3千ドルを円に替えた後、ようやく予約してある空港内のエクセルホテルに向かう。ここもジムが予約を取ってくれたホテルだ。ところが、空港内とは言え、国内線のターミナル内なので、国外線のターミナルからはバスで行かねばならぬという。

お嬢さんに押されて外に出る。寒い。冷たい風が吹いている。辛抱強くバスを待つ。10分ほどで来たバスに乗る。

これが又大変な騒ぎで、まず乗客より先に車椅子者だ。運転手が下りて来て鉄板を歩道からバスに掛け渡す。お嬢さんが押す。中には車椅子を留める場所があり、そこに立っている乗客を押しのけるようにして、車椅子を定着させる。気の弱い私は一人ひとりに頭を下げて、済みません、を連発する。

又10分ほどして到着した国内線ターミナルで、同じようなことが繰り返された挙句、椅子は地上に降ろされた。

お嬢さんに押されてターミナル内を5,6分行った突き当りがエクセルホテルだ。そこでようやっとお嬢さんが、では私はここで、と言う。

急いで取り出した千円を辞退する彼女の手に握らせる。

エクセルホテルは、こじんまりしたホテルで、一応何もかも揃っている。部屋で一休みした後、引き続きホテルの車椅子に座らせられた私は、トムに押されて、近くのレストランに向かう。ホテルのすぐ横にあるレストランはなかなか立派だが客は少ない。外国人のカップルが二組ほど、広い店内にぽつぽつ座っているだけで、使用人はあちこち直立して無聊を持て余しているみたいだ。私は刺身定食、トムは天麩羅定食を食べ、部屋に帰る。

そこで見たテレビで、私は初めて日本国中がコロナウイルスで大騒ぎしていることを改めて痛感した。それまでアメリカでは、ウイルスについてはぽつりぽつりとニュースの片隅で放送されるくらいであったのだ。

道理で何処も彼処もがらがらに空いて居る筈だ。

このような状態の日本のどこに行こうか、と二人で相談した結果、トムは自分がティーンエージャーの頃を過ごした沖縄に行ってみたいと、言う。

沖縄は軍人だった亡き夫の赴任地で家族で3年程暮らした地だ。

沖縄では一人400ドルもした2週間分のJRのパスが無駄になる。えーい、緊急の場合だ。腹を括って沖縄に行くことにしよう。

沖縄を最終地点として旅程を企てた。先ず食い倒れで有名な大阪に行こう。それから、四国に渡って四万十川を逆上ろう。最近の「ブラタモリ」で見た、彼等の行動に私は大いに興味をそそられていた。

始終あちこちで川下り(ラフテイングと言ったっけ)、をしているトムに異存は無かった。

彼は、沖縄には船で行き、途中の島々を見物して行きたいと言う。船にもJRパスは利かない。まあ良いか。付添いのご機嫌も取っておかねばならない。それに、色々私にとっても思い出のある沖縄に行く途中の島々に寄るのも悪くない。

  翌日の朝、新幹線に乗るため品川駅に行くことにする。これがまた大変だ。

まず、ホテルの者が最寄りのJRの駅まで椅子を押してくれる。待ち受けた駅員が交代して、入って来た電車に私を入れて立たせる。混み合った電車の中で、私は必死で吊革にすがる。乗り換えの駅でヨロヨロと降り立つ。そこから一定の場所まで歩いて行って、未だ来ていない係り員を待つ。待つこと10分、彼が謝りながら現れ、又入って来た電車に私を戸口まで送って、中に押し入れる。

品川の駅で私をホームに待たせて、トムが出口まで行って、車椅子を貸す店の電話番号を調べに行く。

寒いホームに立って待つ私はその間に考えた。日本国中、車椅子で旅する困難さを考えた末、車椅子を諦めることに意を決した。

以前から私は密かに、車椅子に乗らなければならぬようになったら、趣味の旅行もままならぬようになるだろう、と考えていた。今まさに、それを悟ったのだ。トムが階段を下りて来た時、彼に私の考えを告げた。

トムは驚いたようであったが、私の決心が固いのを見て取ると、同感を示した。

手提袋だけトムに持たせ、リュックを背負うと、私は車付きケースを押す彼のジャケットの裾を握りしめた。

”I am not going to be beaten! 負けてたまるか!“ 私が心で叫び続けた雄たけび?が胸中を往来した。  続く