SLとコークスの記

機関室の中でナス紺の制服を着て黙々と働く二人の人影、スコップで頻繁に投げ入れる石炭の山、釜のなかで赤々と燃える火焔。これらの光景が残像のように今も瞼に焼き付いている。

家の直ぐ近くに石炭の燃えカスを捨てるアース置き場というのが有った。

一日に何回も貨車が来ては山積みした石炭カスを捨てていった。

その殆どは白茶けた石炭の燃えカスなのだが、その中にほんの僅かだが、ポツンポツンと黒いコークスが混じっていた。

当時の家庭での燃料は薪と木炭が、主だったが、コークスは炭火より火力も強く、しかも無料の燃料とあって、近辺の住民にとってはこの上もなく、有難い恩恵だった。

コークスの殆どは石炭が細かく砕けて焼け残ったものだが、

たまに石炭がとてもうまい具合に焼けて1個の石炭が割れずにそのままコークスになったものもあり、そんな一級品を拾うためには他人よりも一歩でも先に行かねばならず、大人も子供も貨車の来るのを待ちかまえていてバケツや籠を持って集まって来た。

 父の居ない我が家も子供だからと言って遊んでは居られなかった。

バケツと火箸を持たされ、大人と競い合うようにしてコークスを拾っていた。

当時の石炭の需要はどれ程の物だったか解らないが、石炭を積んだ長い長い貨物列車をほんとに良く見かけた。

あれは北海道から船に積んできたものを貨車に積み替え関東方面に運ぶ石炭のようだった。  続く