三代 忠洪(小笠原隆安次男) 1859年~1911年 62歳没
1868年明治維新の時は9歳
妻 やす (忠豊長女)
廃藩後の生業は不明だが、四代目にはかなりの資産を引き継いでいるので、武士を辞めてからも明治維新をうまく乗り切り裕福な家庭だったようです。
余談
忠豊次女は小笠原隆安三男の妻となり、その娘、きく、ゆう姉妹、は
大久保弥三郎と結婚、きく、初婚、ゆう再婚、
その長男が1958年学習院大学在学中、清朝最後の皇帝にして、旧満州国の皇帝でもあった愛新覚羅溥儀の姪の愛新覚羅慧生と天城山で心中した大久保武道君です。
四代 民弥 (盛城勝三三男) 1870年~1941年 71歳没
妻 忠洪長女とよ(1897年没)忠洪次女かつと再婚
民弥は近在の地主で、村長、校長を務め土地の名士でした。
叔母が先祖自慢するのはこの時代の父親の数々の業績があったのかもしれません。
再婚した妻かつは商才もあり、東北線工事の際、屋敷内を人夫達の宿泊場所にした、と言う話しです。
4代まで婿養子だった家も5代目からは長男に恵まれ現在(2020年)8代目迄順調に受け継がれています。 完