Mrs Reikoの長編小説  戦争花嫁

           青春    1

 瑤子は,バスの中で久しぶりに会った女学校時代の友人、澄江に「明日アメリカに発つのよ」と告げた。

突然の言葉にびっくりした澄江は、まじまじと彼女の顔を見つめた。

そして大きな瞳に涙を浮かべ、かけていたヒスイの十字架を外し「これ、持って行って」と瑤子に渡した。

未来への旅立ちに胸をふくらませていた瑤子は思いがけぬ澄江の涙に驚き、一瞬胸がつまり、素直に「有難う」とは言えなかった。

瑤子の身の上は知っていた澄江だが、近在の名の知れた地主のお嬢さんである澄江とは、所詮住む世界が違うのだと悟り、話さなければ良かった、と後悔した瑤子であった。

「お元気で」「さようなら」と二人共言葉にならない思いを抱えたまま、いつものような簡単な挨拶をして別れた。

一九五二年、二月二四日の夜、瑤子が二〇才の時のことであった。

 薄闇の沿道に小高く積まれた雪が、ほの白く浮かぶH駅は戦災にこそあわなかったが、終戦後七年経った今も昔ながらの粗末な駅舎で、売店から漂う立ち食い蕎麦の醤油と、共同便所の入り混じった匂いがこもっていた。

二つの支線の始発駅のため本線急行も止まり、多くの旅人が行き交う場所にもかかわらず活気が無く、汽車が着く度吐き出される人々の顔は暗く、みな一様に空を振り仰ぐと、被り物を着け、そそくさと立ち去るのであった。

 終戦前年の冬、瑤子は東京から弟妹三人と祖母の家に疎開し、その翌年の三月十日の空襲で、東京に残っていた両親と一歳の弟が焼け出された。

脚の不自由な父は松葉杖をつき、母は背中で火がついたように泣き叫ぶ弟にかまう暇もなく、逃げ惑った。

ようやく近くの親類の家にたどり着いた彼らは、弟の首の付け根に焼け焦げた木片がへばりつき、火傷しているのを見つけた。

無一物となった一家が移り住んだ家は、父の生家の隣村で、駅が近い、というだけが取り得のあばら家は、戦後のうなぎ上りのインフレのため、外国航路の船長をした後、その船会社の重役となった父が、一生かかって貯めた金、全部をはたいてようやく買った家であった。

トタン屋根の二軒長屋の家屋は、不自由な脚の父があぐらをかきながら、廊下の壁をぶち抜いて、一軒にして使っていたので割合広かったが建付けの悪いガラス戸からは

ヤマセ(冷たい偏東風)が音を立てて吹き込み、外と同じような寒さだった。

父は故郷に帰って来てから就職もならず、三年もたたぬうちに風邪がもとで二ヶ月ほど咳と喀血を繰り返しながら、骸骨のようになって寒い二月の朝、まだ五十才の若さで亡くなった。

二才から八才の幼児四人が、自身も子供のような、外で働いたことのない母に残された。

一文の蓄えもない一家の窮乏の重みは、自然と長女である十六才の瑤子の肩にのしかかってきた。