Mrs Reikoの長編小説  戦争花嫁              

                           青春  12

アンディは暇を見つけては彼女の許に通って来た。

車はその頃売ってしまっていたので、彼は一駅向こうから汽車に乗って来た。

映画館のことで時々出張があるらしく、ある日のこと、彼は乗って来た米軍列車が十分以内に駅を出るからと、ブーツも脱がず板の間を駆け上がり、瑤子の部屋にとび込んで彼女にキスすると、また走って出て行った。

嬉しさにワクワクしている瑤子に向かって母は、「土足で上がりこんで」、と顔をしかめた。

それからまた、汽車が停止中に来たと言って、瑤子の部屋の窓からランチの箱を押し込むと、走って去った。

機関車やなにかの交換のため、たいていの汽車は駅で暫く停車するのが普通であった。

彼が少し食べた形跡のある箱の中のサンドイッチやケーキを弟妹に分けてやると、母はまた、食べかけのものを持って来て、とケチをつけた。

瑤子は体裁も構わずそこにあるものを持って、短時間でも彼女の許に駆けつける

アンディがいとしかった。

彼は残り物ばかり持って来たわけではなかった。ある日、一駅向こうのキャンプのPXからアイスクリームを家族の人数分、自転車で大汗かきながら持って来てくれたこともあった。

アンディは毎月二百ドルほどの月給の中から百ドルを瑤子に渡し、その他にも彼女に様々なものを買って来た。

それでも母は何かの拍子に「締りやなんだネ」と言って、またしても瑤子を幻滅させた。

百ドルはその頃少女が取る月給よりずっと多かった。

出産予定日の一ヶ月前、瑤子はアンディと、田口という二世とガールフレンドの

時子と一緒に東京に行き、カップル同士証人になり合ってアメリカ大使館で結婚し

た。

ただ書類に偽りのないことを事務官に宣誓するという、簡単な結婚式であった。

瑤子が十九才、アンディが二十四才であった。

結婚はしたものの、軍の病院に行くのを嫌った瑤子は、近所の産婆さんの世話になった。

二月四日の夜十時頃始まった陣痛は、明け方まで続き、前夜からいたアンディが、汽車の時間のため朝の七時頃出て行った後、一時間ほどで赤ん坊は生まれた。

エミィと名づけられた子は生まれた時から本当に可愛らしい子であった。

生後二、三ヶ月のエミィを乳母車に乗せて瑤子が近所の店に買い物に行くと、客の誰もが「イヤイヤまあ、めんこいこと」と誰もがエミィに触れたがった。

エミィが三ヶ月の時、アンディは朝鮮に行かされた。

コジ島で捕虜の洗脳のための映画を見せる映写技師として過ごしたので、危険なことはあまり無かったが、それでも一時、捕虜の暴動があって、司令官の少将が人質となり、釈放されるまで四、五日新聞を賑わした。

書くことが苦手な彼であったが、短いながら毎日のように手紙をよこし、それらを基地まで受け取りに行く瑤子は、郵便局の兵隊たちと顔なじみになった。

その年の十二月に東京に帰って来た彼は、GHQ勤務となり、その翌年の二月十五日、いよいよ親子三人が横浜から軍用船でアメリカに向かうことになった。

東京に居るアンディが瑤子の所に来られぬため、瑤子は一人で支度をしなければならなかった。

東京の外務省にパスポートを取りに行ったり、基地に行って米軍列車の予約をしたり、彼が置いて行った、人が入れるようなトランクに物を詰めたりして、彼女は出発の用意に明け暮れした。