ヤンキー老人ホーム体験記

それからハタと考え込んだ。私は晩酌をする。

ナニ、たった1缶のビールを夕食前に飲むのであるが、その習慣を主人亡き後の憂鬱・無聊、そして食欲増進のため、毎夕食前必ず実行してきており、それが今日私があるお蔭と、信じている。

案内書には、館内禁酒ではないが、ダイニング・ホールではアルコール飲料は出さぬことになっていると、あった。

食べに行く前に飲むと、顔が少し赤くなる。食べてからは飲みたくない。

飲まねば食が進まぬ。糖尿病発見以来、痩せ細り気味であった私がこれ以上痩せれば生きたガイコツだ。

生涯肥満を苦にしていた亡き母がよく言っていた、“年取ってから痩せているのは貧性だよ、”と。少し手前味噌的だな、と聞いていた私であったが、イザ痩せたわが身を鏡で見ると、それもそうだな、と思わざるを得ない。

 仕様が無い。たまには禁酒といくかと、自宅から運んで来た、買ったばかりであった沢山のビールの缶を横目に、決断してダイニング・ホールに向う。

先の3老婦人たちのテーブルに又一人誰か席に着いていた。

テーブルは4人掛けで、5人はチョッと窮屈だ。ハテと思案して立っていると、直ぐ隣のテーブルの、大柄の肥った赤毛のオバサンが声を掛けてくれた。

“私たちのテーブルに来ていいよ。”

有難い! 早速テーブルに着くやいなや、自己紹介から始まって、自己略歴を語り始める。

リタイヤ前に通訳をしていたので、こういうことには慣れている。ただ、

長いリタイヤ後の一人住まいで、人恋しかった私のお喋りは、止まるところを知らない。それに、80余年の歴史は語るに長い。  続く