ヤンキー老人ホーム体験記

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少ない髪の毛を赤く染めた肥ったオバサンの名はナンシィで73歳、それからもう一人坐っている白髪の老婦人はシャーリィだ。もっとも私も白髪だし、場所柄、白髪は男も混じえてワンサカいる。でも89歳と言うシャーリィのは、たっぷりした立派な銀髪だ。二人ともウォーカーを押して歩くが、小柄で肥り過ぎてもいないシャーリィの顔は、スッキリしてなかなか綺麗だ。

人の事は噂せず、I mind my own business と言うシャーリィは寡黙だが、人の話は熱心に聞く。

それに引き換えナンシィは気さくなお喋りで私の話に相槌をうちながら自分の身の上話も適当にする。

4人の子供達を主人が外地勤務の時など、一人で苦労して育て、そのうちの一人、30代の息子を亡くした私の私の話を聞いて「私も30代の息子を亡くした」と言った。

ナンシィは「息子はエイズで死んだのだ」と付け加えた。

生来、血友病であった息子が、輸血でエイズに感染して死ぬまで、当時のエイズ恐慌時代にどんなに差別されたかを聞いた時、私の苦労など軽く思われて言葉を失った。

エイズの恐怖が伝えられたのは、80年代で今から思えばそれは迷信的恐怖で、私なんかもエイズ患者が貯水池などでそこの水に唾を吐き入れただけでその水を飲む生き物全部が死滅するのではないかと思ったほどであった。

時の大統領レーガンエイズは同性愛者特有の病気と考え、同性愛の嫌いな彼はいっそのことエイズで同性愛者達が皆死ねば良いと考えているのではないかと思えた程、無関心、無政策で私を苛立たせたものだった。 続く