帰郷 沖縄 3
エミイがまた島中をほっつき歩き始め、沖縄の中高学生と屯して沖縄の警察に保護されたり、兵隊とオーフリミットの場所でMPに捕まったりすることが絶えなかった。
瑤子が特に心配したのは、彼女が妊娠しはせぬか、ということであった。
父親も知れぬ子を自分が育てなくてならなくなるのでは、ということを彼女は非常に恐れた。
堕胎はいまだにアメリカでは重罪であった。
待たれた引越しの金が軍から下りた。
ところがアンディは、その翌日、PXから一本三十ドルもする釣竿を、家族全員のため、と称して六本買って来て、瑤子を激怒させた。
金が下りたら、ああもしよう、こうもしようと、必需品ぎりぎりの家を見回して期待していた金だけに、彼女にはその大部分が釣竿に変わったことが、我慢できなかった。
二週間ほど口を利かなかった彼女に、アンディは相当参ったようであった。
みっともない夫婦喧嘩をしたくない瑤子の精一杯の反抗であった。
それから暫くして、アンディは釣り船を雇い、漁夫に漕がして外海に出させた。
小さな船は沖のうねりに大揺れし、乗っていた家族一同はげーげーと吐き続け、ようやく漁夫が一匹の大きな鯛を釣り上げただけで、一家は帰途に着いた。
恵比寿様が釣り上げるような、ピンクの丸い鯛は見事であったが、それ以来、誰も釣竿を使おうとする者もなく、それらはその後二十年余の間、引越しの度に持ち歩かれ、最後にフリーマーケットで二束三文に売られる、という破目に会った。
瑤子は、沖縄のテレビの漫画を喜んで見ている子供達に日本語を教えようとして、毎日彼らが学校から帰るとテーブルの周りに坐らせ講義をしたが、生意気盛りの彼らはふざけ散らして手に負えず、諦めた。
瑤子の両親の家系が武士であったことから、瑤子はそれまでにも、なにかにつけて、サムライはそんなことをしない、などと言って子供たちを躾てきたが、それも武士を知らぬ彼らには馬鹿らしく思われ始めたのであろう、せせら笑うようになっていた。
瑤子のすぐ下の弟、信夫が結婚するので来ないか、と誘われた。
実家は実に、十三年ぶりであった。
瑤子は、おみやげをトランクに詰め、“ひめゆり丸”に乗って鹿児島に着いた。
丁度、鹿児島空港で管制塔勤務をしていた次の弟、武に、そこから無料で飛行機に乗せてくれた。
東京まで行ったのは良かったが、東京の交通事情を知らなかった瑤子は、大きなトランクを抱え酷く難儀した。
幸い荷物はなんとか、鉄道のチッキで送り出すことができたが、東京のタクシーの運転手の不親切に彼女は驚かされた。
瑤子の住んでいた頃とすっかり様変わりした郷里では、いまだに元気であった、母親や、伯父、叔母と再会した。
十三年前、お互いに、もう二度と会えないのではとの思いで別れただけに、再会の喜びは一入だった。
幼かった弟妹が一人前に成長して、彼女を丁寧にもてなしてくれたのも嬉しかった。