Mrs Reikoの 長編小説   戦争花嫁                            

                  帰郷  沖縄1

 翌日の早朝、オハラ一家は西に向かって出発した。

アンディが朝鮮に行く前に買った、後ろに荷台がついた中古のフォルクスワゴンの

ヴァンが、彼らをカリフォルニアまで運ぶ車であった。

時は1965年の春であった。

道中、アラバマを通過した時、丁度セルマを出発してワシントンを目指す、マーテインルーサキング牧師の率いる大行進が通るところで、道の両側に警察犬を連れたポリスが多数出動して、物々しい気配を見せていた。

モーテルに泊る金も無い瑤子たちは、交代で運転して乗り進んで行ったが、一日中運転したアンディが、替わってくれるか、と聞く時は、大抵瑤子も眠くなった頃であった。

オーケーと代わった瑤子は、暗いハイウエイを眠気を振り払いながら運転した。

二ューメキシコ州の山中で吹雪に会った。

突然車が山頂で動かなくなり、アンディは瑤子のオーバーをかぶって吹雪の中、助けを呼びに山を下がって行った。

ヒーターもつけられぬ車の中で、瑤子たちは毛布を被って震えていた。

朝方、応援を連れて帰って来たアンディは彼女等の無事を見て心底安心したようだった。

車は引かれてガレージに持って行かれたが、外国製品のフォルクスワゴンの部品がそこに無く、少し離れた町から取り寄せなければならなかった。

モーテルを紹介してやろうか、という整備士の申し出も断って、ガレージのセメントの床にごろごろ眠っている子供達を見ながら、瑤子は情けなかった。

いざという時のために、貯金したいと言った瑤子に、いざという時はどんな時だと笑ったアンディに、いざと言う時とはこういう時だ、と、言ってやりたかった。

軍は引越しが終わってからでなければ金を出さなかったので、アンディが前借りしてきた三百ドルで、遠いカリフォルニアのオークランドまで賄わなければならなかった。

ようやっと、オークランドに着いた彼らは、また灰色の軍用船に乗せられた。

ヴェトナムに向かう海兵隊員が船の下部に満ちていた。

港から出るか出ないかのうちに、エミイはオーフリミットの区域に兵隊といた、という理由でMPに捕まり、親に引き渡された。

それから何度彼女は同じことを繰り返したであろう。ヴェトナムで命を失うかも知れぬ隊員たちと、野生の動物のような十四歳のエミイには、誰のコントロールも利かなかった。

そのような中で、船はゆっくり、ゆっくり、時には時差のため一日二五時間の日々を繰り返して、まずサンディエゴに行き、ハワイに寄ってから、横浜についたのは、出航後、三週間もたってからであった