永遠の別れ 再びカリフォルニア州 4
一人になったら日本に帰ろう、と瑤子は決めた。
実家にはまだ母親と弟、孝が住んでいた。
日本に帰って英語を教えよう、と決めた彼女は大学卒業の資格を取るため、まず近くの短大の英文学や哲学のクラスに席を置き、学校に通った。
モントレィで取った単位のため、すんなり入学できた彼女は、夥しい読書とリポート作成で、泣いてばかりはいられなくなったが、それでも学校の行き帰りの車の中で耐え切れず、号泣を繰り返した。
アンディが元気でいた時、どれほど幸福であったかを思い、彼を苦しめた数々の仕業を後悔して身が切られる思いであった。
発病して一年後、医者はアンディに、化学療法を止めたかったらいつでも止める、
と言った。
それは死の宣告であった。
病状が少しも良くならぬことを自覚していたアンディは、「止めてくれ、」と頼んだ。
病院から帰った彼が瑤子にそれを告げた時、彼女はただ、「死なないで」と繰り返し、泣きじゃくるばかりであった。
「君は強いから大丈夫だ」とアンディが反対に彼女を慰めた。
それからの治療は、呼吸が楽になるよう、胸の水を時々採ることだけになった。
家の病室には酸素ボンベが運び込まれた。
看護婦が一週に一度、鼻に管を入れた彼の状態を見るためだけに来た。
ポータブルのトイレが部屋に入れられた。
瑤子は彼の痩せさらばえた全身を石鹸と湯で毎日洗った。
彼は、気持ち良さそうに彼女に体を任せ、フウッとため息をつき、笑顔で瑤子を見上げるのであった。
胸水を採ってもらいに、車椅子で病院に連れて行くと、知り合いになった看護兵でさえ、痩せた彼を驚きの目を見張って息を呑んだ。
フィリップの卒業式になった。アンディは、一人で留守番している、と言って瑤子が式に行くことを勧めた。
子供達の教育は、彼がいつも一番気にしていたことであった。
身作りをした瑤子が彼の部屋に行って、すぐ帰ってくるから、と言うと、彼は目を細めて彼女を見、「綺麗だよ」と言った。いつも揶揄ばかりしていた彼が始めてしみじみと言った褒め言葉に、瑤子は胸をつまらせた。
最初澄んでいた胸水は、だんだん濁った水に変わっていった。
そして、最後には血が混じった膿みのようなものが出始め、それも量がだんだん少なくなっていった。
衰弱と息苦しさでアンディは、早く終末が来ればいい、と洩らすようになっていた。
瑤子はその度に、夫を抱いて泣きながら、生きられるだけ生きて頂戴、と頼むのであった。
一度、水を採りに病院に入ったその晩、壁に仕掛けた酸素パイプの具合が悪くなり、彼が意識を失ったことがあった。
後に回診に来た医者が、もう少しで君を失うところだった、と冗談のように言うと、彼は穏やかに、「そうなっても良かったのに」と言った。
そして、その次採水のため入院した翌朝、彼は死んだ。
その前の晩、瑤子は彼の好きなメロンを持って行き、スプーンで彼に食べさせた。
満足そうに食べ終わった彼にキスして、「じゃ、また明日ね」と言って、いつもするように、手近な足の親指を握って彼を見ると、彼は顔をくしゃくしゃとさせて、泣き顔になった。
後ろ髪を引かれるような思いであったが、時間が遅くて病院に居残ることもできず、瑤子はそこを出た。それが最後の別れとなった。