母と息子のセンチメンタルジャーニー

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  鹿児島駅の案内所で聞いた、マリックスラインと言う船会社の埠頭までタクシーを飛ばす。

閑散とした広い取扱所で沖縄行の船のことを聞く。クイーンコラルと言う船は明日の午後5時でなくては出ないと、言われて、一等室の予約をして、外に出る。

トムがアパホテルと言うのに予約を取る。タクシーでホテルに行く。

翌日5時まで、所在なさに、タクシーで街中を見物することにした。波止場から大分離れた街中では、西郷隆盛の博物館を訪ねる。色々沢山の展示物、ゆっくり見てまわりたいが、タクシーを待たしている身である。心残りながら、さっと見て回って、次に行く。

桜島に行って、桜島アイランドビュー バスに乗り、島を一回りする。活火山に興味のあるトムは大いに喜んで、例のプロフェッショナルのカメラで写真を撮りまくる。

船着き場に帰ると、そろそろ乗船を開始しようという動きで、人の良さそうな荷物一時預かり所のオバさんが自分のことのように心配して、私たちを急き立て、一緒に外まで出てきて世話を焼いてくれた。

長いタラップを渡って船に乗り込む。

一等船室のドアを開けて驚いた。薄暗く狭いキャビンは8人定員で、もう先客たちがそれぞれ2段ベッドのカーテンを引いて閉じこもっている。

私は下段、トムは反対側の上段だ。ここで奄美大島まで一晩過ごさなくてはならぬ。私は良いけど、トムの呼吸器が心配だ。

有難いことに同室の人たちは静かな人たちばかりで、殆ど顔を見ることも話し声を聞くこともなかった。

トムと二人で食堂に行く。そこで又私たちはマゴマゴする。食券を機械から買って、カウンターの向こうに立つボーイだかシェフだかに渡さなくてはならない。機械の前でマゴついている私たちを、談笑しながら眺める彼等の中からは、誰も出てきてやり方を教えてくれない。

ようやっと何とか食券を買い、ラーメンを食べ、又穴倉のような部屋に帰る。通路の向かいは2等室の大部屋で、人達がゴロゴロねころんでいる。 

いっそのこと2等の部屋の方が、カーテンを閉め切った薄暗い一等室より気持ちが良さそうだ。でも、大男のdumb American を連れて歩く身ではそうもいくまい。昔あった3等室と言うのは、今時は無いのであろう。なんのことはない、それぞれ1クラス格上げしたようなものか。

穏やかな海だった。お蔭で8人部屋でもゆっくり眠ることができた。

朝方着いた奄美大島で下船。クレーンが大きなコンテナを沢山降ろしている。そうか、本州の鹿児島から物を沢山輸入しなければならない孤島なのだ。

丁度昼時なので、ここで何か食べて行こうということになり、構内のたった一軒のレストランに向かう。まだ少し早めなので、客は私たちだけだ。

年配の主人らしき人が一人で店を仕切っていた。白髪に補聴器の姿に親しみをおぼえる。

まず最初にコーヒーを頼んだ私たちは、主人が運んできたコーヒーのカップに目を奪われる。まるでフランスの宮廷ででも使われたかのような立派なものである。

驚いて賞賛する私たちに主人は、コーヒーカップに凝るのが私の趣味でと、戸棚に収められた数々のコーヒーカップを披露する。そして語りだした彼の身の上と言うのも一風

変わっていた。

大戦時メチャメチャにされた奄美大島を後にして、自分は出稼ぎに行った。その行先がサウジアラビアだったと、彼は語る。

サウジアラビアで石油を掘る仕事でもなさったのと聞くと、掘るんじゃなくて、パイプ建設の仕事だとのこと。

こういうお店を持って、コーヒーカップに凝る趣味が持てるほど沢山のお金を得たのね、と言うと、自分は6年そこにいたと、彼は言う。 続く