母と息子のセンチメンタルジャーニー

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他のタクシーで那覇市のデパートに行く。浴衣が欲しいというトムの希望で、着物売り場で浴衣を探すが、いくら常夏の沖縄でも流石に2月末に浴衣は売らぬようで見当たらぬ。手ぶらで出てきた私たちは暫く平和通りをぶらついた後、タクシーでホテルに向かう。

いつもの雑談を年配の運転手と始める。彼の話に依ると、Mr. 金城インというホテルは沖縄の各地にあり、全ホテルのオーナーは女性で、それもまだ30代の若さだとのこと。最近の若い女性のパワーにはまたまた驚かされる。

昔、ハイウェイから壮大に姿を見せていた、私が働いていた軍政府や、隣の沖縄政府の建物は全部取り壊されて新しく建て直したのであろう。そこは巨大な県庁役所に変わっていた。

そして又昔、水釜に向かう途中の普天間辺で、緑の木々の間に際立って高く白く建つ、夫の働いていた米陸軍病院の建物は、周りの巨大なビルに圧倒されて、目を凝らして探さなければ見つけることができない。

モールの側でタクシーを降りた私たちは、そこで日用品や食べ物を買い整える。

自炊とまではいかなくても、たまに必要な包丁、まな板などを買い揃えた。

包丁は持って帰ることが出来ないので、一番安いものを買ったが、まな板は厚い木の立派なものだ。

そして、園芸店で見つけた小さな如雨露は沖縄で使うことは無く、アメリカに持ち帰る物だ。500円もせぬその小さなジョーロは、生えてきた小さな苗の水やりの為、アメリカで懸命に探していたものである。

買っては失望したジョーロが家には4個もゴロゴロしている。みな水口が下を向いているか、ひねれば上を向くものも、大量の水がどっと出てきて、弱弱しい新芽を押し流してしまうのだ。

アメリカの物はなんでも大きくて、それぞれ1ガロン、2ガロンという水を入れるようにできていて、一番小さなものでも2分の1ガロン入りだ。

これは是非アメリカに持って帰りたいんだけど、大丈夫かねと、トムに聞くと、大丈夫だとの答えで安心して買う。

ついでにまな板も持って帰りたいというと、いいとも、との返事、大男の御供を連れて歩くと重宝だ。

プラスティックみたいなもので出来たまな板が嫌で、やっとアメリカの三ツ輪で見つけた木のまな板は、薄くてすぐ反っくり返る。今見つけたまな板は、長さ30センチ、幅18センチ、厚さが5センチはある品だ。

トムは海での潜り、カヌー漕ぎ、小島見学と忙しく、私はテレビ、という毎日で、結構不自由なく毎日が過ぎていった。その間にも、テレビで毎日放送されるニュースはコロナウイルスの話でもちきりで、今さら事の重大さを痛感した。  続く