母と息子のセンチメンタルジャーニー

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3月2日の朝、私たちは水釜を後にした。タクシーの運転手は女性で、如才のない素敵な女性だ。彼女は水釜で生まれ育ってずっとそこで暮らしていたと言う。年より若く見えるけれど、67歳と聞いてトムは自分と同じ歳だと興奮し、もしかしたら昔の彼女だったかもね、と笑う。

そうかもと言って、彼女も笑う。大変愉快だ。

問題児の上の女の子にかまけて、下3人の男の子達にはあまり手をかけなかったと、悔やんでいるこの親にとって、知らぬ間に、紺碧の海と空の間で、輝くような青春を送っていたらしいトムの昔話を聞くのは、まるで絵物語を紐解くようで、楽しく、嬉しい。

あまり人つ気の無い那覇の空港に着く。空港も私が憶えているチャチなものでなく、羽田を凌ぐかと思われるほど立派なものだ。

午後2時10分発の飛行機には大分間がある。空港内に沢山ある店を見て回る。国際サンゴと言う店で、大量のペンダントを買う。

ジムの嫁さんの大勢いる家族の女性全部に一つずつ慣例のお土産だ。

ジムの嫁さんはイラン人だ

亡命のイラン人には家族が大勢いる。彼らの家族愛はひとしおだ。

3歳の姪まで含めて、嫁さんには女性家族が何人いるだろう。兎に角、彼女の娘二人と弟妹の家族たちの分に10個程買った。

ペンダントの石は、夜中に光る蛍をイメージして作ったという、きれいなブルーの石で、一つ一つ違った形のペンダントだ。ピュアブルー ペンダントと呼ばれるそれは一個約3千円ほどだ。

私を敬愛してくれる彼らをないがしろにはできない。

ジュエリー店のすぐ側で見かけた、ホットドッグを看板にするレストランで、食事をする。ホットドッグとアボカドにつられて、ここで食べようと、トムを誘った私であったが、ながーいこと待たされた挙句に出された物の不味さには辟易した。

アメリカのホットドッグを好む私がつい惹かれたものであるが、アメリカの寿司と同じ位不味い。

私の個人的見解を言わせて貰えば、アメリカのレストランで“sushi”と、外に大々的に書いてある所はたいていまがいものの和食レストランで、日本人以外の他国民が経営している。

そういうところは大抵”京都“、”将軍”、“芸者”などと、世界的に知られた固有名詞を店の名にしている。

表に“sushi”と書いてあるレストランは本当の和食レストランではないよと、店名だけでは判断がつかぬ、我がdumb Americans に、いつも私は忠告する。 続く