母と息子のセンチメンタルジャーニー

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ジムのイラン人の嫁さんは、有能なカイロプラクターだ。

彼女は、頭が良く、なんでもプロフェッショナルにやりこなす。

テレビやラジオにも出て講演する彼女は、縫物、パッチワーク、大工仕事、なんでもござれだ。

動物が大好きで、犬、猫、家鴨、鶏を、ペットとして飼うので、私はいつもあんたに飼われている動物は世界一幸せ者だねと、言っている。

チキンをペットにする人を初めて見た。動物たちは、それぞれの役目を果たすでもなく、高価な餌をただ食いして、広大な敷地を駆け回っている。

イラン人の国民性なのか、彼女の性質なのかは知らぬが、情熱的で、それらが一匹、一羽でも死ぬと2,3日涙を流している。

ただ困ったことに、彼女もシャーリーに劣らぬ整理整頓狂 だ。

家中イラン風と言うのか、アラブ風というのかで、飾られている。

彼女の趣味に合わぬ物がちょっとでも置かれてあると、彼女はさっさとどこかに片付けて見えぬようにする。

なにしろ手早い。何事も電光石火の如く処理する。

忙しい彼女に代わって調理する私に感謝するため、お皿を洗うことを申し出る。

あッという間に仕上る。時々食べ物の滓がこびり付いている食器を私は再度洗いながら、これはどういうことだろうと、いぶかる。

なんでも素早く完璧にやりこなすが、本当の清潔と言うことにはあまり関心が無いのであろうか。

私は考えた

。Woman’s lib (女性解放)だ、なんだと叫ぶ女性群の先端を行くような、シャーリーや、サーシャたちは、「主人」という権力的に支配する者を捨てて、「家」を勝ち取ったのだ。

それで現在彼女たちは、「男」でなく、「家」に仕える下僕だ。

ナンでそこまで“家”に尽くす その気の遣い方は、かって女どもが行ってきた主人(夫)に対しての気の遣い方と同じではないか。

家は住む人のためにある。人が家のためにいるのではない。

使用人が沢山いる金持ちの豪邸や美術館、博物館なら、金と暇をかけて飾り立てるのも良かろう。でも一般人は、そのような身でない。

人生は、家を磨き立てたり、片付けたりで終わるものではないはずだ。

なぜもっとリラックスして、人生を楽しまぬのだ。

とは言うもののサーシャは、なんでも良く気がつく良い嫁さんだ。

イランでも嫁は姑に尽くすよう、教えられているのかもしれない。

彼女の気配りは並大抵のものではない。

私が数年前ジムの借家に移る時、来てみて驚いた。 続く