2009年 5月13日~25日
5月13日
サンデイエゴ発午後1時42分の飛行機が45分遅れて出発。ユナイテッド航空では珍しいことだ。
4時間あまりの飛行の後、カリフォルニアより2時間進んでいる時差のシカゴに到着した。
午後8時45分発ミュニック行き飛行機の出発まで後20分程しかない。
多分間に合わないだろうと思いながらも、これに乗り遅れると、ミュニックからブカレスト行きの飛行機やホテルの予約まで変更しなければならぬので、この広いオハラ空港の国内線から国外線乗り場まで、リュックを背負い手提げを持ちながら、必死で“動く歩道”を走り、エスカレーターを駆け登り、やっと捕まえた電動車に乗せて貰って出発時間すれすれにゲートに到着。
ルフトハンザ航空のゲートではいかめしい制服を着た大男たちが5,6人立って雑談していた。
フランクフルトに行くのかと聞かれ、パニック状態の私が自動的に、そうだ、そうだと、肯くと、ボーデイングパスを見た一人が、ミュニックじゃないですかと、笑った。
さすがゲルマン民族の航空会社、勤務する者たちは昔風に言うと、6尺豊かな美丈夫ばかりで態度も恭しい。
これが昔の私なら、見た眼の良い彼らにクラクラッときたところだが今は違う。
外見より中身が大事だ。
機内の席に着いた途端5分後にドアが閉まり、エンジンが唸りを上げ、飛行機は空港内をゆっくり動き始める。
定刻きっちりである。さすが時間に正確なドイツ人と、おおいに感服して窓際の席から外を眺める。
鋭い稲妻の閃光が引っ切り無しに走る夏の東海岸特有のthunder stormがたけなわである。雨は一時止んでいるようだが所々に水溜りが残る地面は濡れている。
やがてまた雨が降り始め、稲妻と豪雨の中、飛び立てるのであろうかと、不安になる。それまで当ても無く空港内を走り回っているかのようであった飛行機がピタリ止まり、機内アナウンスが始まった。
Thunder stormが収まるまで飛び立てないと、キャプテンが説明する。さもあろうと、乗客は納得して文句を言う者もいない。
空港を走り回り疲れ果てた私は、待てば海路の日和とやらで、壁に凭れ、コックリコックリ始める。
1時間ほども寝たであろうか、またキャプテンの声で眼が覚める。
外は相変わらずの嵐だ。燃料節約のため、エンジンを止めると言う。
止まった途端、エアコンも停止だ。それからまた延々1時間、ファンも動かぬ機内の温度はどんどん上昇する。
ドアくらい開けろと叫びたくなる。乗客中にも苛立ちの声がそろそろ上がり始める。
隣の客(40代の白人男)もモゾモゾ落ち着かぬ。
2時間以上経過後、やっとエンジンがスタートされ、飛行の準備が開始される。
隣の男が拍手する。
外は大分収まったとは言え、未だに稲妻と雨が見られる。私がシカゴに着く前から始まっていたのであるから随分長い間荒れ狂っていた嵐だ。
サンディエゴ発の飛行機が遅れたのもその故であろう。順繰りにみな遅れたのだ。
離陸後の飛行機の回りを稲妻がしつこく走る。もういつ死んでも良いなんて言ったのは嘘だ。その中の一つが当たらぬよう、脇の翼を見つめながら神に祈った。
ようやっと陽光に満ちた積雲上に出る。シートベルトのサインも消え、飛行機全体まるで車の中のように平穏だ。
ドイツ語訛りの英語でキャプテンが、約9時間半でミュニックに着く予定と伝える。
9時間半!ロスから日本へ飛ぶ時間と同じ。もっと近いと思ってた。
プラスチックの袋入りの遅い夕食が出る。
まずい。でも添乗員の態度は柔らかい。大きな体の男女の添乗員は愛想が良い。
みな訛りの強い英語で喋る。(ドイツ人は英語がペラペラと思っていたが。)
時折、キャプテンのアナウンス、飲食物の配布などで眼を覚まされるが、ウトウト眠り続けているうちにミュニックに着陸。
約3時間のdelay.
次の飛行機はとうに出てしまった筈。慌てても仕様が無いので悠々と降りる。
下りた途端に”新型インフルエンザ検査所“と書かれた小さなブースが見えた。
誰もいない。誰も止めれらていない。止めるならサンデイエゴから来た私を一番に止める筈だが、誰もなんとも言わぬ。そういえば、サンデイエゴの空港からこっち、マスクをした人も見かけなかった。アジヤと違って暢気なことだ。
全体鉄筋とガラス張りの白とグレーに塗られた空港は病院のようであり、草花の陰さえ見えぬ。清潔好きのドイツ人の国民性か。
またもや長いこと歩いて、ブカレスト行き飛行機のカウンターまで行き着く。
変更の手続きがある筈と、サンデイエゴで貰ったボーデイングパスを見せると、カウンター嬢は、それでオーケーだとニッコリする。
安心して、duty-freeの店等見て歩き、サンドイッチとオレンジジュースを買って、空席に座り食べる。
ロンドンやパリと違い、ブカレストに行く人はあまりいないのか、ガランとした感じ。
ところが、いざゲートがオープンとなると、どこからともなく続々と人が押し寄せてきた。
負けじと頑張ってゲートに達すると、ボーデイングパスに“待った”がかかった。新しいボーデイングパスが必要だと言う。だから言わんこっちゃない。来た時見せたじゃないかと内心ブツブツ。
新しいボーデイングパスを手に並んだ時には、もう半数以上の人たちが出た後だ。
示された、行く手の階段を下りると、ロックされたガラス戸のある誰もいない階下の踊り場で行き止まる。
標示もないまま、戸惑い、側のアラブ人らしき男に聞く。同じくブカレストに行くというその男は、多分バスが迎えに来るんだろうと言う。訳が解らぬまま階段にまで溢れた、今では相当数になった旅行者たちと待つこと15分。
バスが来た。ガラス戸が音も無く開く。
バスの脇に立つ運転手は無愛想で、”ブカレスト行きのバスはこちらです”とも、“お待たせしました“とも言わない。
何もかもオートマチックは良いが、少しは旅行者の身になってくれって言うんだ。
不安とイライラで過ごした15分間、ぐったり疲れる。
標識とか案内がもう少しあっても良さそうじゃないか。誰もが通勤でミュニックの空港を毎日利用するわけでもあるまいし。
2時間ほど飛ぶと窓際の席からルーマニアの地が見え始めた。山国の日本を思い出す懐かしい景色だ。
地上に降り立った乗客を乗せたバスは15分ほども走って空港の税関に辿り着く。
受け取る荷物の無い私は真っ直ぐ歩いて税関関所に向う。
途中currency exchangeがあったので、100ドル交換する。
パスポートを見せたりしてなかなか暇のかかる所だ。
その後トイレに寄ったりして、ようやく関所に着くと、皆もう出てしまったのか、誰も旅行者は居ない。それとも私が早過ぎたのか。
欠伸をしているような官吏にパスポートを見せゲートを通り抜ける。誰もなにも言わぬ簡単な税関だ。
ロビーで、多分もういないであろうと思った迎えのガイドをもう一度眼で探していると、一人のオヤジさんが寄ってきてタクシーはどうだと聞く。
ヒルトンホテルまでいくらだと 聞くと、18レイlei(約6ドル)だと言う。
物価が安いと聞くルーマニアにしても、安いもんだと思い、18レイだねと念を押してから彼のタクシーに乗り込む。
途中物珍しさに魂を奪われ、左右を見ているうちに30分ほどでホテルに着く。
2レイはチップにでもと、20レイ差し出すと、オヤジは慌てて、80レイと紙に書く。それじゃエイテイーン18じゃなく、エイテイ80じゃないかと彼の発音を責めるが後の祭り。
見栄っ張りの私はそれでも10レイのチップを加え90レイ渡す。これではサンデイエゴのタクシーと値段が同じだと、騙された思いでルーマニアの第一印象は良くない。
続く