Mrs Reikoのルーマニア ブルガリア紀行

 アメリカ同様の服装をした若者たちで賑わう公園の池端、モンテ・カルロというレストランで食事する。

サラダ、チキン、フレンチフライにペットボトルの水、デザートは薄いパンケーキにブルーベリーのジャムがかかったもの。

アルコール飲料の出ない質素な食事だ。チキンはささ身をただ網の上で焼いたもので硬く、全く味が無い。

 

これでもルーマニア人にとってはご馳走なのだろうと、黙って食べる。

胡瓜とトマトの角切りの上に細く削ったチーズを乗せたサラダ、ブルガリアン・サラダは以外と旨い。これはその後、あちこちで食べた。

 

ガイドのアンドレは若いに似合わず話上手で、"あなたたちは散々旅行して、行く所が無くなったのでルーマニアに来たのだろうが、“と冗談を言う。図星の私たちはニヤニヤ笑う。しかし、今まで会ったことも無いたった5人の会食(その中の一人、運転手は英語を喋らぬ)で、一時話が途絶える。

私は仕様が無く、サービス精神を発揮して今まで経験した旅行の逸話などを述べて、気まずさを和らげる。

すると、隣に座ったカリフォルニアの男(スタンという名の、私の苦手な背の高い白人)の調子が出て来て、彼も旅行体験を語り出す。10年前、スタンダード・オイルの会計の仕事をリタイアして以来、一人で旅行して歩いているという彼は、1度旅行に出ると1月ほど最寄の国を泊まり歩くというツワモノだ。

ハイスクールからのワイフはまだ仕事で働いているそうだ。(他人は皆配下の者というような、こういう男の傲慢な態度が気に入らぬ。)

彼曰く、今まで行った所ではマニラとフランスが最悪だ。

フランス人はフランス語を話さぬ者は人間でないように扱う、と言う。

私が東洋のどの国から来たか、まだ解っていなかったような彼は、マニラについてはなにも言わなかったが、相当嫌な思いをしたことが顔に出ていた。

フランス語も流暢だと、自分で言うアンドレは、明日仲間に入ってくる女の人の名がジャネットとフランス風の名だから、気をつけろと、スタンに注意する。大丈夫、十分気をつけると、スタンが請合う。

私と向かい合って座っている、頬ひげの40代のニューヨーク男は言葉少なく、ニコニコしながらたまに相槌を打つ程度だ。

その隣のガイドのまた隣に座った大男の運転手、ニックの存在がちょっと気になりだした。

何しろ英語を喋らないので、話に乗ることも出来ぬのは仕方無いが、愛想笑いもせず、むっつりとチキンを齧っている。

そのニックがアンドレに塩を取ってくれと頼むのを機に、ニックはパンも欲しいかもと、眼の前にあったパン籠を指差すと、ニックはノーと言って大きな手を振った

一同の中にあったわだかまりが少し解けた気がした。

アンドレが日本人もたくさん来るが、質問があるかと聞いても、あまり質問もせず大人しい。恥ずかしがり屋なんだろうか、というので、彼らは完璧な英語を話せないと思って、口を開かないのだ。

だが自分は日本で生まれ育ったが、アメリカに50年以上も住んでいるので、すっかりアメリカ人だ。

英語は未だに完璧ではないが、バカなことを言っても平気だ、二度と会う人たちでもあるまいし、と嘯く。(アルコールが入らなくても私の“一席打つ癖”は結構出てくるようだ。)

アンドレは私の質問に答えて、ルーマニア人の平均月収は600ドル程度で、ガソリンはリッターで買うが、大体1ガロン5,6ドルだと言う。それでもルーマニア人はベンツやBMWを好んで買うとのことで、ちょっと不思議な思いだ。

今のアメリカでは月収千ドル取っても貧乏人で、ガソリンは1ガロン3ドル以下、使う車はほとんど日本か韓国製だ。どうなっているんだろう。

ホテルに帰り、翌朝、9時にツアーグループ全体がロビーに集まり、ブカレスト市内見物するということで、解散。

 

5月16日

なんとなく眠れぬ夜を過ごして、ぼうっとした調子で朝9時、ロビーに行く。

昨日の男二人の他、私の肩ぐらいに背の低い、私より年上と思える西洋人のオバサンと会う。

ニューヨークからのジャネットだと紹介されたその女性は、短く薄い髪の毛を赤く染め、真っ青な目玉の小さな眼、それでいて鼻がイヤに大きく尖っているので魚を想像させる。私と同じく一人旅だと言う。

 

そこへ5,60代の東洋女性が二人来て、背の高い方が、アメリカ市民ではあるが、現在、主人の仕事上韓国に滞在中とのこと、もう一人の眼鏡をかけた方は、ニューヨーク在住とのことである。

二人は生まれた韓国の高校時代からの親友で、よく一緒に旅行するという。

興味半分で日本版ヤフーの“知恵袋”を時々覗いている私は、激しい日韓対抗感情を知っていたので、いくら今は3人とも米国市民でも、なんとなく反感を持たれるんじゃないかと危ぶみ、近寄らぬことに決め込んだ。

グループはたったの6人!先が思いやられる。

全員集まったところで、背の高い方の韓国女性がガイドを待たず、”自己紹介しようよ、“と名を名乗った。

よく聞こえなかったが私は、”れい子、”と名乗りながらも、これが韓国人特有の気の強さかと、唖然とする。他の人たちも気を呑まれた形で名を言う。

まずホテル前の広場に立って、あそこがミュージックホール、ここが美術館、と指差される。

ルーマニア中の芸術がそこに集まったようであったが、"あなたたちは運が良い。今日は土曜日だが、今日と明日の日曜日はブカレスト中の美術・博物館が皆タダになるからね、“とアンドレが言う。美術・博物館はまだ市内にたくさんあるようだ。

タダにしてくれてもなあ、と慨嘆する。昨日からの疲れがまだとれてない私はただただ休息したい。

ニックの運転するミニバスで、Village Museumに向う。

丁度日本の明治村のように、古い建物を持って来て並べた所だが、ユネスコ有形文化財に指定されたとのことである。

茅葺の住居、水車小屋、教会が並んでいて、その庭で特産品を売っている。

生憎ごつい陶器類が主で、その他、蜂蜜も特産らしいが、どれも私には担いで帰れそうも無い。

次に、バカでかいParliament (議事堂)を見学する。

ここは90年代に処刑されたチャウシェスカ独裁時代に建設が始められた建物で、恐ろしく大きい。

中に入るには、空港の検査のように厳しいチェック・ポイントを通らなければならぬ。

ジャネットがブツブツ言う。“Rug (敷物) でも盗んで行くと思ってるんだろうか。

広い内部の廊下には幅広の赤いrugが敷き通されてある。

その他には何物もない天井の高いガランとした広間が続く。

若い女性が先にたって、ここが謁見所、ここが舞踏室などと説明するが、家具も置かれておらぬダダッ広い広間はどこも同じに見え、あまり興味が沸かぬ。

高く広い階段を上って2階に行く。2階も同じ。

さらに3階へと先立つガイドの女性に、ジャネットが言う。"ここで待ってる、“と。

私もジャネットと待つことにする。"エレベーターは無いのかしら、"と言うとジャネットは、”あるけれど、見学者には使わせないのだろう。”そういえば、小さなエレベーターに、後から後から詰め掛ける参観者は入りきれないだろう。

10分ほどで、階上から仲間が降りて来た。やはり広い広い何も無い部屋がたくさんあったと言う。

出口で10レイのチップを女の子に渡す。私の他にチップを渡したのはニューヨーク男のアレックスだけみたいだった。

それにしても、ルーマニア人は巨大な建造物を好むらしく、議事堂前の大通りの両側に並ぶビルは、凝った建て方の巨大ビルの連続で、それはまるで、巨人の墓場のようにも思える。

その後、高級そうなレストランの前に私たちを連れて行ったアンドレは、ここが美味しいよ、と言って私たちをおいて何処かに行ってしまった。

外のテーブルにまであふれた客で大賑わいのレストランは空席が無いようなので、気おされた私とジャネットは他のレストランを探しに歩き出す。

韓国女性たちはとっくに何処かへ行ってしまった。

ジャネットがあんたの友達はどこへ行ったの?、と聞くので、彼女らは私の友達ではない、今日始めて会ったばかりの韓国人で、私は日本人だ、と言うと、ジャネットはおおいに恐縮して知らなかったと、しきりに謝る。

同じ顔立ちだから無理も無いと、私は慰めるのに大童。

人種の間違いにどうしてそんなにこだわるのか、不思議なくらい。

レストランはたくさんあるが、どこも外のテーブルまで一杯の繁盛ぶりだ。

ようやく空席を見つけたイタリアン・レストランに腰を落ち着ける。

ジャネットが若いウエイターにイタリア語で、勘定を別々にしてくれるかと、聞くと、ダメだと首を振る。

歩くのが嫌さに、あなたと同じものを注文するから勘定は半分ずつにしようよと、提案する。オーケーと言ってジャネットがオーダーする。

私も同じものをと、オーダーして出てきたものは、トマトソースのかかったパスタの上に鯵の切り身のようなものが乗っている。

ニューヨークで外食し慣れているジャネットは、どうもニューヨークの味と違うと言っていたが、私にはなんとも言えず不味いものに思われた。

 

食べながら、彼女が今まで行った国々のことを披露したので、私がドイツに住んでいたことから、ドイツにも行ったことがある?と聞くと、自分はドイツには行かない、なぜならユダヤ人だから、と言う。それで人種にあれほど拘泥したのか。

 共産圏脱出後約20年のルーマニアは、ようやく観光事業に目覚めたものと見え、市内あちこち、遺跡発掘に取り掛かっていて、工事場が多い。

このレストランの前も発掘作業中と見え、大きな穴をプラスチックのシーツが囲っている。

当然道路が狭まれ、私たちのテーブルの直ぐ側をオートバイが唸りを上げて行き来するので、話もゆっくりできない。

遺跡は別に空襲で破壊されたわけでなく、新しい建物を建てる度に、古いものを崩したり、その上に建てたりしたようだ。

お互いの持ち金を勘定してみると、私の方が少し余計持っていた。ジャネットはウエイターに少し余計にチップをやりたいので、1.5レイ借りて置くね、と言う。そんなことしなくても、あるだけの金のチップで済ませばよいものをと思ったが、忘れていいのよ、と言ってレストランを出る。

最初のレストランに帰り着くと、韓国人女性たちが外に立っていて、どこに行ってたの、と聞く。彼女たちはそこのレストランで食事を済ませたとのことで、あの混んだ所でよく席があったもんだと、感心する。