Mrs Reikoのルーマニア ブルガリア紀行

5月14日

ブカレスト・コンサートホールを眼下に見下ろすヒルトンは、さすがに威風堂々としたホテルだ。

立派なロビーに感心しながらカウンターに近づく。現地5月14日の午後6時半。

イタリヤに行った時疲れのためローマ市内の見物を諦めた苦い経験から、今度はpre-stayと言って、旅行社が提案するプランで、ツアー開始より1日早く着くようにしたので、同じツアーの人たちはまだ到着していない。

その一晩余分の宿賃は眼が飛び出るように高かったが、ユナイテッド航空のFrequent flyerのため、今度の飛行機代が只になった私は気前よく、オーケーと言ったのだ。

それなのに、である。カウンターの若い男は私の予約は入ってない、と言う。

そして、もう一度予約を取れ,と言う。 

そんなことしたら、また350ドル払わなければならない。とんでもないことと、持参の旅行社の明細書、ヒルトンホテル・クラブの会員証などのプリントを出して見せる。もしもの場合にと持ってきて良かった。出迎えのガイドがいたらスムースに交渉してくれたであったろうに。

10分ほどゴタゴタ言ったりしたりしていた男はやっと、あった、と言ってキーカードをくれた。感じ悪いことこの上無し。タクシーの事と言い、ルーマニアの印象は益々悪くなる。

4階の部屋は日本の成田の部屋と同じような作りで、3倍もする宿賃にふさわしくない。

疲れきってベッドに倒れこむ。眼が覚めたのは11時頃。ルームサービスを頼むことにする。どうせまた不愉快な係員と電話で交渉することを厭いながらも、食べぬわけにはいかない。

メニューを見ると、ビールが恐ろしく高い。Budweiser 小瓶が25レイ(約8ドル)である。

ままよと、ビールのほか、1番高いビフテキと野菜のブロイルを注文した。電話口の男は非常に愛想がよく英語も滑らかだ。気を良くした私は調子にのって、デザートのプリンまで注文した。

30分ほどでドアをノックして若い、電話のウエイターが恭しく、車つき、白のテーブルクロスの円卓を押して入って来た。

物柔らかにビールをコップに注いでくれるウエイターや、なかなか立派な食器・銀器を見ながら勘定を払う。

ルームに附けておこうかと言うウエイターに、いや、キャッシュで払うと、10%のサービス料のついた勘定書きをチェックした上、また10%ほど彼にとっておけと渡す。サービス料と言っても、実際彼が貰うのはいかほどばかりか。チェックインの時の男のため人間不信に陥った私は、誰も信用しない。

嬉しそうに恭しく礼を言うウエイターを送り出し食べ始める。ゴロンと4センチほどの厚さで4x5センチほどの矩形のビフテキは、柔らかくて美味い。

フレンチフライが付け合せだ。野菜のブロイルは、その後いろんな所で食べたが、ピーマン、トマト、玉ねぎなどを網のうえで焼いただけのものだが、これがなかなか美味いのだ。

プリンを食べ、部屋つきのコーヒーを飲み、すっかり満足した私は、またベッドに横になりテレビをつける。いくら暇があっても市内をそぞろ歩きするほどの元気は無い。

ルーマニアのテレビはまだあまり発達しておらぬと見え、アメリカ物がほとんどだ。

ニュース番組のCNNを付けっぱなしにして、また眠り込む。

5月15日、

今日から本当のツアーが始まる。それにしてもガイドからはウンともスンとも言って来ない。

ホテルの食堂で朝食を摂る。ヴァイキングで、ソーセージ、ハム類が美味しい。元気の良いウエイターが来てコーヒーを注いでくれる。

タクシーと食事でleiをほとんど無くしてしまった私は、換金の必要を感じ、支度して部屋を出る。

アメリカのドルもユーロも使えると聞いてきているが、やはりleiが無難のようだ。

 

ホテルの換金場はまだ閉まっている。チェックイン・カウンターの女の子に聞くと、すぐ側の銀行に行け、と言う。彼女は愛想よく今私が教えてあげます、と言い、後ろのドアを開けて入って行った。

待っていると、大男のドアマンが寄ってきて、附いて来いと手招きする。

あの女の子を待っているんだと言っても、解っている、付いて来いと、しきりに手招きする。両人の間にはテレパシーでもあるのか。

ドアの外に押し出された形で、あそこがバンクだ、と指差される。

言われたバンクの前まで来て見ると、バンクはまだ閉まっていて、9時にならなければ開かない。

前に屯していた浮浪児のような少年が2、3人寄ってきて何か言いながら手を差し出す。無視して9時までの15分間ほど、そこらを散策することにする。

私の部屋からすぐ見下ろせるコンサートホールは面白い屋根の形をしている。正面に名前は解らないが、楽聖銅像が立っている。

方向音痴の私は迷わぬよう、ホテルの前の十字路を行ったり来たりする。

すぐ側のRaddison Hotelヒルトンより建物が新しく、立派だ。

付属のcasinoを大々的に広告している。Casinoはルーマニアブルガリアのいたるところにある。共産圏を脱出した後、映画、テレビ、観光等をさしおいて、すぐ始めた企業であろう。あまり人気があるようにも見えなかった。

9時にバンクに戻った。換金したいと、大男のガードに言うと中に入れてくれた。

たった4人ほどの小さな支店なのに重々しい。ケージの中の男に用件を話すと、まだrateが入っていないから30分ほどしてから来いと言う。

ゲンナリして、日本円もかと聞くと、それもだと、答える。(換金して貰おうと、持ってきた。)

30分うろついた後バンクに行く。1ドル=2.99leiだ。たった100ドル交換するのに、パスポートのコピーを取られ、3枚の紙にサインさせられた。

出る時やっと覚えたルーマニア語、“ムツメスク(thank you)”と愛嬌を振りまいたら、途端に小難しい顔をして押し黙っていた人たち(ガードを含め)の顔が綻び、“ムツメスク”と返して寄越した。

久しぶりに清清しい気持ちで部屋に戻る。

また眠ったりテレビを見たりで、午後までグズグズしていると電話がかかってきて、”ガイドのアンドレだが、今晩の食事のためレストランにお連れします、”と言う。”待っていたのよ、“と言って急いで支度をして階下に行く。

ロビーの真ん中で3人の男共が話しをしていたが、それと解って私の方を向く。

歩み寄って、General Toursの人?と聞くと、えっ?と聞き返した。General Toursから委託されて、こちらではまた別な旅行会社が取り仕切っているらしい。

兎に角私の名がリストにあったことだけは確かだ。

ガイドのアンドレはまだ20代のようだが流暢な英語を喋る。他の二人はアメリカ人で、一人〔6,70代〕はカリフォルニア、もう一人(4,50代)はニューヨークから来たという。

他にまだ3人居るが、今日は出られないと言っていたと、アンドレは私たち3人の先に立って、待たせてあったミニバスに連れて行く。

近くのレストランで、ドライバーのニックだと紹介した大男(60代)と共に席に着く。

 

席に着いた途端、ブカレストに着いてからの不満をぶちまけた。でも80leiは妥当だ、予約は結局あったのだね、と言われ、黙らざるを得なかった。

空港からホテルまでのガイド付き交通費は払い込んであったので、せめてタクシー代くらい払い戻して貰えるかと、聞いても、アンドレはボスに聞いて見ないことにはと、言葉を濁した。ガイドは確かに定刻に来て待っていたというのだから、仕様がないか。遅刻は誰の故でもないのは明確であるが、旅行社によっては払い戻してくれることもあるのを承知の私は、一応交渉してみたのだ。