Mrs Reikoのルーマニア ブルガリア紀行

5月17日

 ビーで9時集合。トランシルヴェニア・アルプスに向ってミニバスがOlt River Valley (盆地)と言う川べりの町村の間を縫って走る。

アカシアとhorse chestnut (マロニエ?) の花が真っ盛りで、野山を真っ白に蔽っている。

ブカレスト以来ずっと眼にして来たそれらの花は、今では当たり前の風景の一部になっていたが、たまに野原で農事をしている人々の間に真っ白の一点を見出すと、オヤ、あんな所に、と眼を凝らす。

それが、冬篭りで真っ白になった肌の農夫が、シャツを脱いで、ルーマニアの短い夏の太陽を吸収している姿と解ると、その白い肌を羨む女性もいるのにと、おのずから微笑が沸き上がる。

冬は零下45度にもなり、夏は45度位まで上がるというルーマニアの気候はハンパじゃない。

アカシアやホース・チェスナッツの他にも、ケシの花のシーズンらしく、煉瓦色の花が一面咲き乱れる野原を度々見かける。

その度に、パラソルの女と子供が青空を背景にケシの花群の中に立つ、モネだかマネだかの絵を思い出す。

一面の朱色は遠くから見ると赤土のようにも見える。

アメリカでは、トランシルヴェニアと言えば、みな直ぐドラキュラの城と、そこから夜毎飛び立つヴァンパイア(吸血鬼)を思い出すみたいだが、それはアイルランドの作家が創造した話で、実際には、城は1377年に建立以来、次々と持主が代り、19世紀にはルーマニアの王族が避暑に使った城であったのだ、とアンドレが説明する。

フランシス・カポラの映画が大当たりしたおかげで、それまでそんなことを知りもしなかった城の回りの住民は大儲けしたとのこと。映画は良かったけれど、と、アンドレは皮肉を言う。

バスが通る道路わきの民家はみな瓦葺きで、茅葺は一軒も無い。

2車線の、狭いクネクネした道をできるだけのスピードで行くミニバスの揺れは激しい。

遠くのTransylvanian Alpsは未だ頂上に雪を載いている。

川沿いの、あたりの風景は奥入瀬沿いの道や、ヨセミテのホテルから公園に行く道を思い出させる。

畑に規則正しく植えられた木が林檎だと気が付き、またもや青森県を懐かしく思い出した。

土地の高度に依って、花をまだつけていたり、親指の先ほどの青い実をつけていたりする。

林檎の里だと気がついた時、ぜひいつか林檎を食べて、青森のと比べてみようと思った。

全体的に、ルーマニアの民家の屋根は実に複雑な形をしている。

うまく言えないが、普通の屋根のあちこちの角度からまた屋根が突き出ていて、その下に窓がある。

私が建築家だったら何々風と言えたであろうが、兎に角、多角形としか言いようがない。

普通のシンプルな屋根をおいている家でも、屋根裏に窓が少なくとも二つ位はあり、その窓の上部にはちゃんと小さな屋根がある。

遠くから見ると、まるで睫の濃い二つの眼が覗いているようだ。

風雅な家々を写真に撮りたいと思ったが、バスはスイスイ走り過ぎて行く。

今にもチルチルとミチルが出てきそうなキュートな家々を見ながら、自分だけのために止めてくれと頼むほど強気でない私が、あれよ、あれよと思う間に、バスは目的地に向って走る。

ガイドや運転手にとっては当たり前の風景なので、止めて写真を撮らせようとも思いつかないのだろう。

盆地の中、シビウSibiu という町で止まり、古い家々を見学する。

みな修理中である。中まで入った教会も修理中で、薄暗い上に、床の穴ぼこを板で被ってあったりして、足場の悪いことこの上無い。これがアメリカだったら、鉄兜を被った工事夫だけしか入れない所だ。

 頭の真ん中で髪をニワトリのトサカのようオッ立てた、モダン・ボーイ、アンドレは、滔々と立て板の水のように続ける説明の間にも、そこらに並べられている聖画にいちいちキスをする。

気がつくと、ニューヨークのアレックスも同じようなことをしている。

シビウ郊外の小川沿いの民宿の前でバスが止まる。

今夜はここで、ルーマニアの農家の生活を体験してもらうと、アンドレが言う。

敷地を囲む高い塀に接続した大きな木の扉が開いて、バスを中庭に導く。

品の良い40代の夫婦に迎えられる。庭には綺麗な草花が、ハンギング・バスケットから溢れるように咲きこぼれている。

あっちとこっちが我らの宿舎だと、指差すアンドレに、私はここで良いわと、すぐ近くの部屋(二階)を指差す。じゃ、自分はその隣だと、彼が言う。

2階の部屋は私のコンドのように、ドアが向かい合わせで、その間に2部屋共同のバスルームがある。

なんだ、アンドレとの共同かと、男の人とバスルームを共同に使うことにちょっとためらいを感じたが、ええ、ままよ、と荷物を背負って家の外階段を上る。

こじんまりした部屋には二台のシングルベッドがL字型に置かれ、窓から中庭が見下ろせるようになっている。

テーブルと椅子が2脚、テレビや電話は無い。

バスルームにはシャワーしか無く、清潔だが何もかも最小限度の設備である。

手を洗った後、丁寧にシンクを調べて髪の毛など落とさなかったか調べる。

人と共同でバスルームを使うと言うことは、骨の折れることだ。

 民芸品らしい織り目の粗い毛布がかかったベッドに横たわる。すぐ眠り込んだらしく、ハッと眼が覚めた時は7時を10分程過ぎていた。

夕食は7時だと、言われていたが、外では何も音がしない。

私が一番乗りかと、階段を下り、ハンギング・バスケットの花などの写真を撮っていると、宿の主人が来てニコニコしながら手招きする。

連れて行かれた所はもう皆が座って食事をしているダイニングルームだ。皆が一斉に振り向いて、笑いかける。

レイコー!どうしたの?みんな心配してたのよーつ!”と、背の高い韓国女性が声を上げる。それまで一言も交わしたことの無かった人だ。

"眠っちゃったのよ、”と言いながら、彼女の隣の席に座る。向かいの席のアンドレが、"ドアをノックしたんだけれど、返事が無かった、“と言った。

全然聞こえなかった。

実は今度の旅行では、本物の補聴器を持って来ていて、一個だけ、右の耳にいれていたのだが、どうしても頭が痛くなったりするので、その時も外して側の机の上においておいたのだ。

それでもドアのノック位は聞こえるはずだったが、よほどぐっすり眠っていたのであろう。

純白のテーブルクロスが掛けられた、長方形のテーブルの上には、ソーセージ、サラダ、チーズ、パン、塩漬けキャベツなどが載っている。みなうまい。

アンドレが自家製だと言って、ブランディを注いでくれる。

物凄く強くて喉を通らない。それではと、ワインを注ぐ。これはなかなかイケル。

何もかもここの自家製だとアンドレが説明する。民宿の仕事以外にお酒や食料まで作るとは、大変だろうなあと、感心する。

スープが出た。うまい!次に豚肉のロールキャベツが出たが、これも美味。添加物皆無の自家製食物の味は久しぶりだ。

食事をし、お喋りをしているうち、知らぬ間にブランデイもワインもみな喉越しが良くなっていた。

背の高い韓国女性は、滑らかな英語でよく喋る。随分あちこちに住み、旅行もして歩いたようだ。話術が巧みで、人を逸らさない彼女に感心して、黙って聞く。

デザートのパイも食べ、食事が終わった。

”では、明日は八時の朝食です。“ アンドレが言う。

”Wake-up callはあるの?”私。皆がドッと笑う。

外はまだ明るい。ジャネットと二人で塀の外の小道を小川に沿って歩いてみる。

向こうから爺さんが何か言いながら手を振り振り近づいてくる。

どうもあまり友好的ではなさそうだ。黒い犬が一匹付いてくる。

側近くまで来て、相変わらず何か叫んでいるので、私が覚えたてのルーマニア語で、”ノー インテレク(解りません)“と言ったら、少しの間叫ぶのを止めて不思議そうな顔をしていたが、また叫びだしたので、帰りましょうと、ジャネットと踵を返した。

ルーマニアでは放し飼いの犬に噛まれる人がたくさんいると、聞いて、私も齢だし、もう履くまいと決めていた、重く暑苦しいジーンズを履いて来たのだ。

中型の犬は大人しそうであったが、けしかけられたら何をするか解らない

私には爺さんが、‘若けえ者どもがミンシュクてえ訳の解らねえモノ始めたおかげで、訳の解らねえヨソモンがうろつくのはガマンなんねえ!“と、言っているように聞こえた。

部屋に戻り、シャワーを浴びる。アンドレがバスルームを使った様子は無い。

空色のカヴァーに包まれた羽根布団の下に潜り込む。

ルーマニアのホテルではみなカヴァーに包まれた羽根布団を使う。しかしこの羽根布団は包んだ二枚のカヴァーにもかかわらず、布団全体が一枚の羽のように軽い。

しかも暖かで、雪が見える山下の宿、相当寒くなると覚悟していた私がその下で夜中に寒さで目覚めることも無く、気持ちよく眠れた。