母と息子のセンチメンタルジャーニー

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全日空468号に搭乗する。席は相変わらずガラガラだ。無事羽田に定刻の午後4時40分に着く。ここで3月3日、午前5時まで待たねばならぬとあって、トムはホテルを予約していた。

Tail wind ザ ロイヤルパークホテルと呼ばれるホテルに私たちは、相変わらず出口で待っていてくれた車椅子嬢と共に向かう。

ロス行は朝の5時発なので、時間はたっぷりあるから、ちょっとこの辺で買い物したいんだが、と言うと、朝の5時ですか、ちょっと旅程表を拝見と、手にしたそれを見て、朝の5時でなくて、0時5分ですよ、と言う。仰天して見ると、成程、3/3 00;05=3月3日、0時5分だ。

旅程表はカリフォルニアに居た時ちょっと見ただけで、時間等いちいち覚えておらぬ。書類は全部目の良いトムに渡して、読むことが苦手になった私の代わりに読んでくれると、安心していた私は、またもやあなた任せの痛い報復を悟る。

アメリカ人は一日24時間体制に慣れていない。08:00は、8AMと言い、20;00は、8PMと言う。00;05を朝の5時と思ったトムは相変わらずのdumb American だ。やはり幾つになってもあなた任せは出来ないと、つくづく感じた。

仕方がないので、予約のホテルに直行して、せめて出発の時間まで一休みしようということになった。ホテルが国際線のターミナルにあったことは感謝できる。ホテルの側のレストランで、トムはステーキ定食、私は刺身定食を取り、ワインと朝日ビールで乾杯して、日本に最後の別れを告げる。

これが最後、と言いながら毎年のように訪日をはたし、もう何回日本に最後の別れを告げたことであろう。

8千5百円払って部屋に戻る。

朝日ビールのお蔭で私は時間まで、ぐっすり眠ることができ、リフレッシュされて目を覚ます。夜の10時半ごろであったろうか。トムは呼吸器を荷物に入れてチェックしていたので、一睡もできなかったと言う。

無事23時10分までに車椅子で送られた私とトムは閑散とした機内に送り込まれる。乗客の半数はマスクをしており、中でも黒のマスクは中国製か、中国語を話す人たちが多い。

最後部の真ん中5席を独り占めした私は、又ゆっくりと空の旅を楽しむことができると思ったが、前の席でやはり5席を独り占めしていた黒マスクの青年が、私が咳をするたびに席の空間からジッと睨みつける。

エアコンの乾いた空気で、いつもアレルギーを起こす私は、今回も咳が止まらない。

コロナ騒ぎで、年寄の労咳、喘息、アレルギー等、いちいち断りをいれなければ咳もうっかりできぬ世の中だ。お蔭で快適である筈の空の旅は不快なものになった。