Mrs Reikoのルーマニア ブルガリア紀行

5月18日

 

朝五時頃眼が覚める。隣のガイドの気配は一向にない。

トイレの音で眼を覚ますといけないと、相当ガマンしたが限界で起き上がる。夕べ九時半頃まで明るかった外はもう明るい。

アンドレは何処か他のトイレを使っていると見えて、バスルームは他人に使われた様子が無い。

日本人と同じように、遠慮とか嗜みがあるようなのに感心する。

 

また一寝入りして、8時頃下に行くと、今度は違った食堂でアンドレとニックが食事していた。

元気の良い他の者たちは、もう食事を済ませて、外で写真を撮ったりしているのだろう。

二人に挨拶して席に付く。珍しくニッコリ笑ったニックが、ジャムはどうだと、器を寄越す。

ごっつい大男の優しい心根に触れた思いで、ムツメスクと、受け取った。

荷物をミニバスに載せた後、どれ、少し写真でも撮るかと、門外に出ると、韓国女性たちにばったり会った。

”少し行くと教会や墓場があって、今私も写真を撮ってきたのよ、”と背の高いフョン(Fyon)が携帯の写真を見せながら教えてくれた。

眼から鼻へ抜けるように機敏な彼女に感嘆して、そっとアレックスに、"彼女、ピストルのようにシャープね、“と囁くと、

"彼女はちょっと欲求不満みたいだ”と微笑し、フヨンという名なんだよ。ハーヴァード大學を卒業したそうだ。

ハーヴァードはボンクラを入学させないからなあ、”と付け加えた。

”墓場?それは見たいわね“と、フヨンが指差す方角に歩き出したが、思ったより遠いようなので、あたりの写真を数枚撮っただけで途中から引き返した。

”あなたを拾いながら行こうと言っていたのよ、“とフヨンがすでに皆乗った車から声を掛ける。

”墓場見つかった?“と聞く彼女に、"案外遠そうだったので、途中から帰ってきた。度々みんなを待たせるのは嫌だから、"と言うと、

"あんたをおいて行くもんか、”と思いがけず、スタンが言う。

通常ランチを食べぬと、いうこの男はあまり私たちと行動を共にせず、いつも戸外でタバコを吸っている。

ちなみにルーマニアアメリカ・タバコは一箱2ドル70セント位で、アメリカより大分安い。

口数少なく写真だけ撮り続けるスタンは、めったに仲間に入らない。

私も初対面以来口を利いていない。

“でも、なるたけなら待たせたくないもんね、”と言って、今では私の定席となったシートに腰を下ろす。

全員いつも同じ席に腰掛けるのは妙であったが、なんとなくそうなっていた。

アンドレはいつもミニバスの中央に立ったり座ったりして説明する。

優しそうな民宿の主人夫婦と“ムツメスク”を言い交わして発車する。

もっと居続けたい気持ち。

相変わらずのゴロゴロ石舗装、ヘヤピン・カーヴの山道を急スピードで車は走り、ルーマニアで最も良く保管されているという中世期の要塞町、Sighisoara(シギソアラ)で、Vlad the iImpaler(串刺しVlad?)の生家、ハウス・オブ・ドラクを見る。

映画のドラキュラという名はここから生まれたのであろう。

今はレストランになっている普通の町家で、彼はここで1432年に生まれたという。

罪人の処刑には残忍な方法を取った彼も、ルーマニアではあまり悪く思われていないようだ。

アンドレが丁寧に串刺しの方法を教えてくれる。やはり残忍な方法だ。

シビウSibiuという町で、中世期からの店やレストランを見て歩く。

どこの町にも町広場があってその回りを店舗が囲む。

“串刺しVlad”の息子が暗殺されたという大聖堂を見学した後、Cozia(コジア)修道院の高い塔に登る。

丁度修学旅行中なのか、4年生位の子供たちで満員だ。

子供はどこの国でもうるさい。

ウンザリしながら見ていたが、手すりの粗い板の上に銅版が据え付けられていて、ニューヨークはここから何千キロメートル、モスクワはあっちに何千キロメートルと、矢印が付けられていたのは珍しいと思った。

折角暗誦している説明が子供たちの騒音で出来なくなったアンドレは、係りの者に文句を言っていたようだが、ガキ軍勢に大人は手も足も出ず、子供たちの流れに押されるように外に出た。

日差しが大分強い。この国に来て以来、好天気に恵まれているのは有難いが、今日は特に暑く汗が滲み出す。

"暑い、暑い、”と言いながらフヨンが車に帰って来た。

"こっちの方が涼しそうだからここに乗るね、“と言って、彼女はドアを開けて運転手の隣に乗り込んだ。

“エアコンはこっちの方が利くんだけれど。"と、アンドレが言ったが、彼女は平気な顔で動かない。

ニックが苦虫を噛み潰したような顔で真っ直ぐ前を向いて運転しているのが、後ろからでも解る。

走行中フヨンは前方や両横の写真を取りまくる。

さすがに予備知識豊富な彼女は、アンドレに次々と質問して、車中の会話は彼ら二人で占められている。

個人的質問をする彼女の声は良く透って、私にも良く聞こる。

聞くともなしに聞いた彼女の身の上話によると、ピースコアで韓国に来たハズバンドと結婚するため、21歳でアメリカに渡ったという。

ハズバンドは現役の国際弁護士で、現在ソウルで仕事をしており、彼女ら夫婦はソウルの33階のアパートに住んでいる、と言う。         続く