Mrs Reikoの長編小説                             

             自立 再びカリフォルニア州 12

 卒業直後、身の振り方を考える暇も無く、サンディエゴ界隈に住む、日本人商社マンの家庭から英語の家庭教師を頼まれ、瑤子は忙しく働きだした。

他の仕事よりずっと良い環境で、収入も申し分なかった。彼女のカレンダーはいつも予約で黒く埋まっていた。

アンディが植えた富有柿も大きな実を沢山つけた。周りの日本人やフィリッピン人の郵便配達夫まで、柿を欲しがった。

瑤子は、渋柿しかないジョージアの頼子に柿を箱に詰めて送ってあげた。

「農業規定違反で捕まるぞ」と夫が冗談を言った、と頼子が伝えた。

州によって農産物が州境を越えるとき厳しくチェックすることを言ったのだ。

 

珍しくドイツのポールから電話がかかって来たが、瑤子が出るとポールはなにも言わずに電話を切ってしまった。

ドイツの彼の電話番号も知らなかったので、かけ返すこともできず、呆然とした。

それからすぐポールに手紙を出し、どうして電話を切ったのか、と聞いた瑤子に、彼は短い手紙で、

父親が死んでから何もかも変ってしまって、ついていけなくなった、というようなことを言ってきた。

寂しいのは彼だけでないのだ、もっと強くなって欲しい、という思いで、毎年決まって出していたクリスマスカードもその年はあえて出さなかった。

その年、1989年のクリスマスの季節、彼女は、三度目の大陸横断を企てた。

今度は、ヴァージニアの友達と親類を訪ねた後、ジョージアに寄り、フロリダの友達を訪問して、すぐ帰途につく計画であった。

グリーソンとはたまに電話するだけだったが、電話で話すことだけで彼女は満足していた。

糖尿のためインシュリンを毎日打つ六九歳の彼は、遠出を嫌って、どこにも行きたがらない、と頼子が言っていた。

女一人で大陸横断をしてきた瑤子の大胆な行動にヴァージニアの親戚の者たちは、驚いていたが、死ぬ気になればなんでもできる、と瑤子は笑った。

コロンブスでは、突然戸口に立った瑤子にグリーソンも頼子も仰天した。

彼女は、ちょっと立ち寄っただけだ、と笑った。

フロリダの友人を訪問した後、西を目指した彼女は、ルイジアナ州の沼地で雨に合った。

その時、彼女の車は水溜りでスピンして、くるくる三回ほど回り、側にあった橋のガードレールに突き当たり、道の真ん中で止まった。

早朝のこととて、他に車が走っていなかったことは幸いであったが、彼女は車が橋の手すりを壊して川に落ちるものと、横の窓を開けて飛び出す覚悟をしていた。

幸い車が止りホッとしたが車のバンパーが橋にぶつかり車は走行不能になった。

フィリップが持たせてくれたその頃流行りのCBラジオでパトロールを呼んだ。

トロールの車で最寄りの町まで送られた瑤子は、車が直るまで、暮れから正月にかけて五日もモーテルで過ごさなければならなかった。

車の事故で始まった1990年は瑤子にとって、最悪の年であった。

その年の初め、彼女はアンディが植えた果物の木が豊富に実をつけている庭の家を売って、近くの町のマンションに移った。

近所の子供たちの悪戯に耐えられなかったのが主な理由であった。

女独りの家は何かと災難に合い易かったので、管理の簡単なマンションを選んだのであった。

マンションに移って三ヶ月ほどで、瑤子は虫垂炎になって海軍病院に入院した。

彼女がいくら虫垂炎だ、と言っても、経験浅い若い医者たちは長い事、ベッドの周りで首をひねっていたので、ようやく手術が行われた時には、医者の手中で虫垂は破裂し、彼女は抗生物質を投与されて、十日も入院を余儀なくさせられた。