Mrs Reikoの長編小説                             

       オリンピック 再びカリフォルニア州 21

 

 開会式の二日前の七月一七日、TWAの旅客機がニューヨーク州ロングアイランド付近で事故に会い、乗客と乗務員二、三十人が、海に沈んだ、というニュースが、選手歓迎の用意のため集まったボランテヤ通訳団に伝えられた。

テロリストを危ぶむ予告を度々耳にしていた一同は、もう始まったかと、暗い顔を見合わせた。

事故じゃなくて、ミサイルで落とされたそうだ、とオランダ語通訳の女性が、そっと瑤子に囁いた。

皆の憂い顔の中、アトランタで行われた華やかな開会式は無事終わった。

ホッとした国民は、競技に注目し始めた。

照りつける太陽の下、華氏九十度以上のコロンブスで、ソフトボールのゲームは開始された。

スーパーボールの時と同じ顔ぶれの選手団の冷たい態度は変わっていなかった。

ソフトボールが行われたゴールデンパークや、選手村になったフォートベニング内の食事は選手と同じに軍の食堂で食べる権利を与えられ、夫や息子たちが味わったであろう軍の食事を、彼女も始めて経験することができた。

プレスボックスから登場選手の名前をマイクで場内に告げたり、選手たちのドラッグ検査に立ち会ったり、コロンブスの土地案内の翻訳をしたりして、他のボランテヤ通訳たちよりもひときわ瑤子の出番は多かった。

ソフトボールチームとの関係がうまくいってなかった瑤子の心は晴れず、早く競技

が終われば良い、と思うばかりであった。

オリンピックが進行中の七月二七日に、アトランタでパイプ爆弾が炸裂して、二人が死に、百十人が負傷する、という事件が起きた。

またボランテヤたちは暗い顔を見合わせたが、選手たちには知らされなかったのか、彼らは相変わらず何事もなかったように、競技に熱中していた。

日本のソフトボールは最後のゲームに負けて、メダルを取り損なったチームの連中は、大声を上げて泣いたりしていた。

比較的友好的だった女の副監督に「残念でしたね」と一言言い、瑤子はやっと終った「祭典」から開放されてさっさと競技場を後にした。