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「さあ、もうご用も済んだことだし、私も帰って寝るわ、マイケルお休みなさい」
と真紀は立ち上がった。
真紀を見送りながら「どうも色々有難うございました。私に出来ることがあったら何でも言ってね」と佳恵は礼を言った。
「今度の土曜日にバーベキューするの、いらっしゃいませんか。その後カードをして遊びましょう」と続けた。
「有難う では又ね」と言い真紀はダットサンの方に向かって歩を進めた。
車のドアを開けた途端何かいつもと違う空気を感じた。
何事かと車内を見廻すす真紀の眼に、フロントシートの後ろに身を潜めた男のもじゃもじゃ頭が目に入った。
ぎょっとして声をあげそうになった真紀に
「しっ、黙ってお願いだから」と制する男がジョージであるのに気がつき、多少落ち着きを取り戻した。「どうしたの?」
と聞きながら運転席に座り、言う通りにエンジンをかけて車を走らせた。
入江の水際で車を止め「これはいったいどうしたことなの?」と改めて後ろ向きになりジョージを見た。
車の窓越しに入って来る街灯の光りに照らされたジョージの顔は夜目にもやつれて右目の下にはかすり傷らしきものも見える。
着ているシャツは薄明かりの下でもひどく汚れていることが解る。
「オートバイは?」と聞く真紀に「ちょっと事故を起こしちゃって」と遠くに目をやりながらジョージは答えた。
「何処で?怪我は?」とたたみかけて聞く真紀の方は見もせず、しばらく黙っていたジョージはいきなり真紀を正面から見つめて
「ミセス カミングス、お願いがあるのですが、聞いて頂けますか」ときりだした。
「お願いってどんな事かしら」
「僕を今からティフアナに連れていって下さいませんか」
「それは今はちょっと言えないんです。
僕をティフアナのある場所に連れていって置いてきて下さるだけで良いのですから」
「でも・・・・・」と口ごもった真紀の頭にティフアナの混雑したデコボコの多い街路の様子が浮かんできた。
アメリカの半価のガソリンを買いに始終ティフアナに行くビルに時々一緒に行く真紀はその混雑ぶりにはいつも辟易していた。
「連れて行って頂けますか」
「そんな事言っても・・・・・困るわね。
もう遅いし、それにいくら近くてもティフアナは外国なのだし、こんな夜更けに町の中をうろうろしていたら危ないわよ。今日はもう遅いから家に帰りなさい」
「今家に帰ると家族に迷惑をかける事になるんです。僕の家も車もあいつらにマークされているのですから」
「あいつらって?今晩電話で散々ママに嫌がらせした人達の事?」
「電話かけてきましたか」
「ええ、何度も、あなたが居るかって、お陰でママもジエリーも、すっかり神経が参ってしまって、私がさっきまでついていてあげたのよ」
「ご迷惑をかけて申し訳ありません。今僕がティファナに行くことによって家族に迷惑を及ぼす事はなくなるのです」「みすみすあなたを危険にさらすことはできないわ」「大丈夫です。ちょっとした誤解からやつらが僕を追っているのですから、それを話しに行くだけです。こんな事誰にも頼めません。お願いします」
「本当に危険ではないのね。そしてそれが終わったら家に帰ってママを安心させると約束してくれる?」「約束します。絶対に」
ジョージは自分自身にも言い聞かせるかのように「絶対に」に力をこめて真紀にすがるような目を向けた。
その目と言葉には、世間を知らない若者が軽い気持ちで始めた小遣い稼ぎの仕事から思わぬ事件に巻き込まれて狼狽している様子が見てとれ真紀は一度だけ彼を信じて見ようと思った。