Mrs Reikoの長編小説    サンタ アナの風

9

「あら、こんにちは」

スーパーマッケット、「アルファ ベタ」のコカコーラやペプシコーラが並べられてある前でばったり会った芙美子は半分程品物の入ったカートを押しながらかん高い声で真紀に笑いかけた」

「ええ、毎日なんと言う事なしよ」

真紀は後ろから来た白人の太った老婆に道を譲るため自分のカートを脇に寄せながら答えた。

それが癖の品定めするような目つきで真紀を見て笑った芙美子は

「それはそうと、あなた、この間佳恵さんの家大変だったのよ」

と、大袈裟な表情で早口に話し始めた。

噂話の好きな芙美子につかまるとちょっとやそっとでは開放されないので、なるべく相手になるのは避けたいと思ってたが、あれ以来ジョージの事が気になっていたので、一言も聞き漏らすまいと芙美子に向き合った。

「大変ってどんなこと?」

「何だか良く知らないけど、おとといの昼頃パトロールカー二台で私服や制服のポリスがどやどやと彼女の家に押しかけてきて、まるでブラック パンサーの逮捕の場面さながらだったそうよ」

「ポリスが?どうして?」

「なんかポリスとイミグレーション(移民局)がジョージを尋ねてきたらしいの、けど、彼は留守で家に居た佳恵さんと何か話してカーラジオで本部とやりとりしたあげく又さっさと引き上げて行ってしまったそうよ」

「あなたそれ誰から聞いたの?」

「うちの息子が外で車を洗っていた時に起こったそうよ。何事かと思って佳恵さんの家の前まで見に行ってきたそうよ」

真紀は佳恵が急に気になりもっと話したそうにしていた芙美子と別れて車に乗り家とは

反対の方角に折れて佳恵の家に車を走らせた。

あの夜から三日たった今日は金曜日で明日の土曜日には芳江がバーベキューに呼んでくれていたので、行くつもりであった。

 明るい陽光の中で佳恵の家は昼間だというのにカーテンが閉ざされいつもは沢山止められてある車も今日は佳恵が使う赤いマブリックが一台ドライヴウエイに見えるだけだ。

 ドアのノッカーを二、三回軽く叩き大分待っても人の気配が無いので居ないのかしら、と踵を返して車の方に歩き出した真紀はドアがそっと開くのを耳にして振り向くと佳恵が半分開かれたドアの陰から覗くようにして立っている。

「居たの?」と言う真紀に無言で頷いてドアを大きく開け、入れと手振りで招く。

薄暗い家の中の佳恵は二、三日手入れをしていないようなカサカサと乾いたやつれ顔で古びたガウンを寝巻きの上から引っ掛けた装いはいかにも佳恵に似合わぬ投げやりな気分を表していた。

「どうしたの?」と聞く真紀の腕をつかんでリビングルームに連れて行きソフアの自分の横に座らせた。

「話し聞いた?」しばらく黙っていた佳恵は決心したように真紀に向かって尋ねた。

「何か芙美子さんからポリスが大勢来たようだとアルファベタで聞いたのでびっくりしてきたのよ」と佳恵の顔を覗きこんだ。

「ポリスじゃないのよ、あれは移民局の人達でジョージを参考人として連れに来たと言ったけど、その他の事は何も言ってくれないから解らないのよ」

「だけどどうして移民局から?あなたも市民権はちゃんと取ってあるしジョージは生まれた時からアメリカ人なのだから別に問題はないでしょうに」

「そういう事でじゃなくて、何かイリーガル エーリアンスの事らしいの」

イリーガル エーリアンス(不法入国者)と言うのは何処の国からでも不法に入国して来る人達を指すのであるが、この辺ではメキシコからもぐりで職を求めて来る人達の代名詞のようになっている。

毎年アメリカに不法入国するメキシコ人の数は万を超えるという新聞記事もあり、それに較べてこれを取り締まるボーダー(国境)パトロールの数はバケツの水の一滴とも喩えられる程少なく、いっその事ボーダーなど無いほうがお互い楽であろうと言う人も居るほどである。

 一度入国してしまうとアメリカの国中に散ってしまい、安い賃金で働く労働者を多数必要とする大農場や工場などに匿われて移民局の躍起の捜査も空しく終わるということはテレビ解説などで良く聞くことである。

「ジョージ今何処?」と聞く真紀に佳恵は一段と声を落として「それがあの夜から一度も帰って来ていないの。もう子供じゃないのだからと思っても私心配で居ても立ってもいられないほどよ」と顔を歪める。

「やっぱりあの夜からね」と真紀は言おうか言うまいかと迷った。「実はね、私、あの夜ジョージに会ったのよ」「どこで?どうして」

と佳恵は真紀につかまらんばかりに問い詰めた。

「私の車の中で待ってたいたのよ」真紀はあの夜の事を簡単に話して聞かせた。

「どうしてそれを今まで言ってくれなかったの」という佳恵のなじるような視線にたじろぎながら「ジョージがあなた達には言ってくれるな、って言うものだから」

「テイファナの何処に行ったの?」「五番街のホテル デル レイに連れて行ってくれと言ったけど、実際に入ったのはその隣のドクトル マーティネズのオフイスよ」

「私、これからそこに行ってみるわ」「ちょっと待ってよ」真紀は慌てた。