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裏庭のあまり陽の射さない場所に椿を植えていた真紀は二本目を植えてから立ち上がりうーんと腰を伸ばした。
しばらくしていない庭仕事は,忘れていたあちこちの関節を思い出させるような骨の折れる仕事である。
一メートル程の椿の苗木には花の色を示す色刷りの絵がぶら下げてある。
真紀はそれを見ながらどうしてアメリカには東京あたりにある赤のはっきりした一重の椿が無いのだろうと残念に思った。
椿と言えば黄色い芯に赤の花びらと決まってるように思って育った真紀にはピンクや白の八重の椿はどうもピンとこない。
お昼までにはみな植えてしまおうと残り三本のプラスティックの鉢に入った苗木のうち、白の八重の札がついているのを取り上げた時表木戸の開く音が聞こえた。
先刻友人の家に出かけていったビルが、もう戻ってきたのかと気にもかけず大きなシャベルで土を掘っていた真紀は佳恵の声に驚いて振り返った。
相変わらず冴えない顔色の佳恵であったが、今日はニットのシャツとジーンズを身につけ何処かに出かける途中という様子に見えた。
「ああびっくりした」と真紀は明るく笑って立ち上がり「ちょっと待ってね」と言いながら側のホースから水を出して手の泥を洗い流した。
「ベル押したんだけど誰も出てこなかったので、きっとこっちだと思って廻ってみたのよ」真紀の園芸好きを知っている佳恵は静かに立って微笑んだ。
あれ以来二、三日会っていなかった佳恵である。
「裏からでごめんなさい」と言いながら佳恵を家の中に通してお茶の支度を始める真紀を手で制して「そうしてはいられないのよ。ちょっとこれから行って来なければならない所があるから」と佳恵は落ち着かぬ風で言った。
「何かジョージの事でニュースが入ったの」
「ええ、もう何から話してよいやら」
と涙ぐんできた眼を押さえた。
佳恵の話すところによると、昨日の夕方メキシコ人らしい男から電話があり、ジョージの居所を知っているが、身柄を引き取りたいならこれこれこういう所に五千ドル持ってくるようにと言ったとのことであった。
真紀は驚いて「なによそれ、キドナップ(誘拐)とエクストーション(恐喝)じゃないのポリスに連絡したの?」と思わず大きな声を出した。
「五千ドルものお金を出してほんとにジョージが帰ってくるかどうかも解らないでしょ、私は不賛成よ。マイケルは何と言ってるの?」
「彼はジョージがアナポリスから帰ってきて以来すっかり失望してしまって、もう自分の息子とは思わないと断言してからは本当にあの子に冷たく当たってジョージのことを聞くのも嫌がるのよ。アメリカ人ってみんなああいう風に簡単に子供を見捨てられるものかしら」
「まあ人にも依るし、その理由にも依るわね」
「とにかく何とかして五千ドル一応出してみたい、と言ってもそんなお金が何処にあるのかって怒るのよ」
「そうねえ、五千ドルと言えば私たちには大金だから」
「あるのよ、それが」
佳恵は思いがけない事を言い出した。
「去年来た母が子供達にでも何か買ってやりなさいと、八千ドルあまり置いていったのを私、マイケルにも言わずサンディエゴの住友銀行に預けてあるの」
そう言えば芳江は酒造家の三人姉弟の二番目と聞いていたことを思いだした。
八十に近い達者な母と姉が去年アメリカ見物に来て二ヶ月ほど滞在していた時の潔い金の使いぶりには佳恵も眼を丸くして見ていたとのことだ。
「住友銀行に行って五千ドルおろしてから指定された所に持って行こうと思うんだけれどなんとしても心細くて仕様が無いからあなた一緒に行って下さらない?」
「そうねえ」と真紀は渋った。
イリーガル エーリアンスと関係があるらしいと聞いてから真紀も簡単に引き受けることは躊躇された。
「マイケルは行かないでしょうしね」真紀はほとほと困り果て呟いた。
「そのメキシコ人が主人やポリスを連れて来たらジョージの命な無いものと思えって凄むのよ、それで私女友達と一緒に行っても良いかって聞いたのよ。そうしたらああ、あのドクトル マーティネズの所に来たハポネサかって聞くのよ、何処かで見ていたのよ、きっと」
「何処にそのお金持っていくの?」
自分でもいけない癖だと知りながら、つい、人の悩み事に巻き込まれてしまう真紀は思わず聞いた。
「クロスビー通りの二三七番地に十二時までに持って来いと言うのよ」
時計を見ると十一時五分前である。
真紀が断っても佳恵は一人でも行くだろうと思うと真紀は断る訳にいかなかった。
「じゃあ、早く行かなくては駄目でしょう」
と言いながら手早く髪をなでつけて佳恵を促した。
穿いていたジーンズは土で汚れていたが、着替える暇もなさそうだ。
急いで佳恵とサン ディゴの銀行に行く、と紙に書いて、テーブルの上に置いた。