Mrs Reikoの長編小説  戦争花嫁                               

           共同生活 ニュージャージー州 1

1995年の夏、彼はドイツに行くよう、命令を受けた。

ドイツの米軍家族宿舎は一年以上も待たねば空かぬ、と言われ、その上、現在住んでいるアパートはすぐ明け渡すように言われた。

ともかく、出港地のニューヨーク近くの土地で母子は待機することになり、同じ命令を受けた黒人のジョーンズという男と彼の日本人妻と子と共に、二台の車でニューヨークに向かった

途中で入ったレストランで、黒人はキチンでしか食事ができぬ、と言われ、顔を真っ赤にして怒ったアンディは、何も食べずに出て来た。

それからは、昼夜ドライヴを続けて、三日でニューヨークに着いてしまった。

ニューヨークでは子連れに貸してくれるアパートも家もなく、隣のニュージャージー州のマウント ホリーという古い町に、ようやく瑤子母子とジョーンズの妻子が一緒に住めるような、古い二階家を借りることができた。

家を探している間、狭い車の中でぐずる子供たちをあやしながら、瑤子は広い芝生の中の居心地の良さそうな家の灯りを眺めて情けなかった。

その古い家に入って二、三日後、アンディはドイツに発って行った。

妻の節子が赤ん坊を産むまで居残る事になったジョーンズに連れられ、瑤子は近くのピーターソンという町に運転免許を取りに行った。

カリフォルニアで一度筆記試験に失敗したことのある瑤子は、慎重に慎重を重ねて筆記試験にパスし、実地にもパスすることができた。

頬を上気させて出てきた彼女を見て、ジョーンズは二コリともせず、「あまり長いことかかったので、どうしたのかと思った」と不機嫌な顔で言った。

一週間ほどして、節子が産気付いた。

二才になる息子のジョージを瑤子に預けて、ジョーンズは節子を近くのフォートディックスという陸軍基地の病院に連れて行った。

彼はその夜から、節子が退院するまで帰って来なかった。

こういう手筈は男たちの間で取り決められたことのようであった。