残照 再びカリフォルニア州 17
彼女にはもっと色々したいことがあるような気がしたのだ。
仕事を辞めて暫く家で本を読んだり、田辺聖子や小林多喜二の翻訳をしたりしていた瑤子は、ある日、グリーソンから電話を受けた。
頼子が日本に二週間の予定で行っていて、寂しいので電話した、と彼は言った。
息子たちの経営する農場があまりうまくいってないことや、農場の中の古い家には、息子のケンが寝に帰ってるだけだと話した。
瑤子はジョージアの野山や彼と共に過ごした狩りが切ない程懐かしく思い出され
突然、ジョージア行きを思い立った。
その古い家を貸してもらえないかと言うと、彼は快諾した。
早速、コンピューターと、炊飯器、古い写真、服類、数冊の本など、彼女の力で運べる物だけを車のトランクに積み込んだ。
マンションは、電話だけ解約して、あとはそのままにしておくことにした。
グリーソンには毎日夕方モーテルに入ったら直ぐ電話する、と約束して出発した。
アリゾナ、テキサス、ルイジアナ、ミシシッピーからその電話はかけられた。
電話の側で待っていたらしく、いつもすぐ彼の声が聞こえた。
アラバマからかけた最後の電話に頼子が出た。日本から帰って来たばかりの頼子は、彼女が来ることを知らなかったようだった。
何事も無くコロンブスに着いた瑤子は、真っ直ぐ農場に行ってケンに会った
禿げかけた頭の毛が全部頬にくっついたような、髭もじゃのケンは、父親から聞いた瑤子の申し出にとまどっていた。
瑤子は食費も折半で食事も作ってあげる、と約束した。
その後グリーソン家を訪ねると夫から話を聞いたらしい頼子は少し固い表情で彼女を迎えた。
頼子の複雑な気持ちを察した瑤子は、「田舎の生活が恋しくなったの」と言って快活に振舞った。
前年買った新しい1993年型のサンダーバードで大陸横断して来た瑤子を、呆れながらも彼は嬉しそうであった。
その晩、ケンのために豪華な食事を作った。
ケンと二人で向き合って食べる気にならなかった瑤子は、デザートまで揃えた料理をテーブルにおいてポーチの椅子に座って、茜色に染まった野や林を愛でながら、ぬるいビールを飲んだ。
瑤子はアンディの死後、戸棚にあった酒壜から毎晩少しずつ飲み始め、その頃には、毎晩ビールを一缶食前に飲む習慣がついていた。
食事をしたケンが農場の仕事を引き続きするため出て行った。
彼と弟のデーヴは豚の飼料にする古い野菜や乳製品を取りにトラックで、スーパーや牛乳会社に行くので、夜中でなければ帰らなかった。
狩猟の支度をしたグリーソンが来た。
瑤子が作った魚のフライをつまんで、相変わらず料理が上手い、などと言い、狩猟仲間と約束があった彼は、翌日来ることを約束して出て行った。
明くる日、彼は犬に餌を与えた後立ち寄った。それから毎日それが慣わしになった。
いつも彼はポーチの椅子に座るとすぐ喋り始め、瑤子は二十余年前の同じような彼を思い出し、微笑みながら聞いていた。
話し上手な彼は歌もうまく、時々興に乗ると、カントリーミュージックの歌を、かすれた声で歌って聞かせた。
その声は彼の歳にふさわしく、聞きながら瑤子は老いつつある二人の、情熱に溢れた若き時代を懐かしんだ。