2020-01-01から1年間の記事一覧

三代 忠洪(小笠原隆安次男) 1859年~1911年 62歳没 1868年明治維新の時は9歳 妻 やす (忠豊長女) 廃藩後の生業は不明だが、四代目にはかなりの資産を引き継いでいるので、武士を辞めてからも明治維新をうまく乗り切り裕福な家庭だったようです。 余談 忠…

前回の続き 禄高は40石?(不確かな情報) 明治維新の時は37歳 維新後の生業は不明 子供役、お目付所、吟味所、鳥見役などはどんな仕事内容なのでしょうか。 調べようがなく、お手上げです。 詳細は解りませんが役名は確かにあったようです。 ネットで以下の…

我が家のファミリーヒストリー

父方の先祖は八戸藩二万石の武士でした。 叔母が生前少々先祖自慢をしながら古い書付を残してくれました。 初代 松原丈右ェ門 1790年~1841年 51歳没 禄高 三駄二人扶持 三駄二人扶持とはいか程の禄高なのでしょうか。 一駄は米2俵分(馬に2俵振り分けて運…

我が家の終戦記念日

終戦も間近な昭和20年7月の事です。 平家の落人伝説もある、人里離れた山間の集落に、水兵服を着た兵隊が14,5名、一人の隊長と共にやってきました。兵隊は海軍予科練の若者達で、目的は松根油を採取するためです。 松根油とは松の根から出るヤニを精製して…

我が家のファミリーヒストリー

映画「武士の家計簿」には江戸時代の下級武士の家庭の様子がつぶさに描かれています。 もし、我が先祖、早川忠恕、隋正(三代前の先祖で忠恕の妹婿)が猪山直之と時を同じくしていたなら、同じ御算用者として早川家も猪山家と似たような家庭環境であっただろ…

我が家のファミリーヒストリー

その中にこんな文を見つけました。 早川忠恕の息子→千吉郎、庄次郎、純三郎 早川忠恕の妹婿→早川随正 早川随正の息子→早川元次郎 出てきました。我が先祖、早川忠恕、早川隋正 早川元次郎 の字が見えたのです。 なおも事例検索を続けたらこのような事例を見…

三代前の曾祖父の名前も知りません。 解っているのは加賀藩の士族で早川という苗字だけです。 雲をつかむような話しですが、インターネットとはなんと有難い物でしょうか、 我が先祖三代前の早川隋正に辿り着きました 加賀藩の藩士名を列挙しているサイトが…

我が家のファミリーヒストリー

母方の先祖は加賀藩(金沢)の武士だったと言う事は母から聞いていました。 1903年(明治38年)東京で生まれた、母の話しでは、「前田様」は家族の中では絶対的な主君として常にあがめられていたそうです。 加賀藩の殿様に仕えた武士だったことは確かなよう…

避暑

今日も33℃でした。 いつもならお盆過ぎには朝晩は寒い位になるのに、この殺人的猛暑は何とした事でしょう。 今、夜の8時ですが、さすがに窓から 涼しい風が入ってきてエアコンは止めました。 ブログのネタが切れて、何かないかと、パソコンのピクチャーを探…

創作童話       鳥になったまこちゃん

6 「でも、家へくるときは、隣の、猫が、時々、遊びに来てるから、気をつけてね」 「大丈夫、ヒヨドリくんに見張りをさせるから」 「ムクドリさんは、ほんとに、ヒヨドリさんが嫌いなのね」 「ヒヨドリは、臆病なので、見張り役には、うってつけさ」 まこは…

創作童話       鳥になったまこちゃん

5 こんなにまこに優しくしてくれるムクドリさんだって、餌台にくると、先に来て、食べているヒヨドリをギャーといって追い払い、ゆうゆうと自分が食べはじめるのです。 ムクドリに追い払われたヒヨドリは、近くの木にとまって餌台に寄ってくる、スズメやシ…

創作童話         鳥になったまこちゃん

4 なんだか、モヤモヤと白い湯気がたって、暖かい空気が、フワーとまこをつつんでくれます。 谷川の、すぐそばに、ひときわ、湯気が、モウモウとたちこめている所があります。 ここは、野鳥達だけが知っている温泉なのです。 いる、いる、ツグミ、シジュウ…

創作童話         鳥になったまこちゃん

3 音のする方を、見ると、カラスがそばに来ていました。 真っ黒いカラスが、なんだか、見かけないやつが、来たなあーとでもいうように、まこの方へ、近づいてきました。 「カラスさん、こんにちは、今日は、私もなかまにいれてね」 「カアカア、なんだおま…

創作童話   鳥になったまこちゃん

2 いつも、庭においてある、お母さんの、赤い自転車が、小さなおもちゃの自転車のようです。 お母さんが、ピカピカにみがいたガラスに太陽が、反射して、キラリキラリと輝いて、お家が、ダイヤモンドのように光っています。 お隣りの、おじさんが、いっしょ…

  創作童話                            鳥になったまこちゃん

今日は、冬にはめずらしいほどの、よいお天気で、まこの部屋にも、お日さまが、あふれるほど入って、ポカポカと、とても、暖かです。 まこのほっぺも、真赤ににそまっています。 ママはお正月の準備で、忙しいので、まこはひとりで、お人形のリカちゃんと遊…

SLとコークスの記

4 駅、と呼ぶようになったのはいつ頃のことだろうか。 私が子供の頃は誰もが停車場と言っていた。 東京出身の母が、上野駅、と言わずに上野の停車場、と言って 東京の従姉妹たちに笑われた、と話していたのも懐かしい思い出だ。 停車場の改札口を乗客と一緒…

SLとコークスの記

貨車の中でも屋根のある箱型の有蓋車は馬や牛など、家畜を運んでいるようだったが、よく見かけるのは馬の方だった。 一車両の両側に馬を数頭乗せ、その真ん中にハンモックを吊るして、そこに人が寝泊まりして馬の世話をしているらしく、時折止まっている貨車…

SLとコークスの記

2 機関室の中でナス紺の制服を着て黙々と働く二人の人影、スコップで頻繁に投げ入れる石炭の山、釜のなかで赤々と燃える火焔。これらの光景が残像のように今も瞼に焼き付いている。 家の直ぐ近くに石炭の燃えカスを捨てるアース置き場というのが有った。 一…

SLとコークスの記

1 昭和20年から31年までの少女時代を過ごした当時の尻内は鉄道の町だった。 広い駅構内には、今ではSLマニア達が熱狂する蒸気機関車が、あっちでも、こっちでもゴットン、ゴットンと入換えをしていた。 駅構内と一般道路との境には何の仕切りもなく、その道…

ヤンキー老人ホーム体験記

21 クリスマスの週のニュースレターが廻って来た ホームでは使用人に常時チップを受け取らせないがクリスマスは特別でスタッフ以外総勢22人にチップを受け取る事を許可する。 ついては食堂に寄付箱を用意して住人の中からボランティアーのダレソレさんを係に…

ヤンキー老人ホーム体験記

20 人との交流を期待していた私だが、だんだんそれが苦手になってきた。 私を無視する老人は多いが、イヤに人懐っこい老人は要注意だと悟った私は、いつも神経をピリピリさせていなければならない。 だんだん引きこもりになってきている。 それからホームの…

ヤンキー老人ホーム体験記

19 毎週月曜日にメイドが部屋に来るため、その時間を利用してスーパーに買い物に行く。 いくら年寄りでも三度の食事に使う材料は相当な量になる。 ペルー旅行で買った丈夫なバックパックを背中に両手にプラスティックの袋を下げて、駐車場から3階の部屋に運…

ヤンキー老人ホーム体験記

18 とにかく心底から嫌いなトムとは絶対眼も合わせぬよう努めた。 時々食堂ですれ違う事があってもうっかり眼を合わせて「ハイ!」などと言われるのは考えても嫌だ。 メアリィのテーブルに行ってからニ三週間経ったある日、ナンシーがウオーカーを押して、図…

ヤンキー老人ホーム体験記

⒘ それからトムの事が話題になった。 メアリーが言うにはトムと仲の良かった弁護士が去ってから彼はメアリーと親密になった、 “呉れたがり屋”の彼女は相当の数の品物を彼に呉れたらしい。 彼が寿司が好きだと言うので日本の店から寿司の箱詰めを買ってきてや…

ヤンキー老人ホーム体験記

16 あまり金を持たぬナンシーはセックス提供者でトムは金持ちの女を物色中であり、そこへ私が飛び込んだ、と言うのだ。 私は金持ちではない、でも、手持ちの自宅は修理中で貸すか、売るかは、まだ未決だとは、最初にナンシーに会った時に言った事がある。 そ…

ヤンキー老人ホーム体験記

15 私と同じ齢の83歳で家族も居ないように見えるトムにどうして金が無いのか不思議に思って聞いて見る。 リタイアー前はprofessor(教授?)だったという彼に金が無いとは。 ずっと前,彼が入居してきて直ぐ、彼は良くメアリーのテーブルに着いたそうだ。 そ…

ヤンキー老人ホーム体験記

14 4人用のテーブルにいつも4人分テーブルセッテイング(ナイフやフォーク)が並べられているわけではない。3人いつも決まった席に着く私達のテーブルも時々一人分とか、二人分のセッテイングが欠けている時がある。その都度歩行が自由な私があちこち空いて…

ヤンキー老人ホーム体験記

⒔ 見覚えのある婆さんだ。 思い出した。私が水彩画を習いにシニア・センターに通っていた時、始終来ていた女だ。 水彩画の教室なのに、いつも本を持ってきていて絵は描かない。 教室の仲間内で、彼女が来ているときは、何かしら物が無くなると言う噂が立った…

12 それまで私は図書室で読んでいた新聞はホームが購買しサービスとして住民に提供しているものとばかり思っていた。 そこの壁には新聞は持ち去らないで という紙が貼られてあった。 部屋に持って行かず隣りの図書室で読む分には差し支えないだろう、と思っ…

ヤンキー老人ホーム体験記

11 ホームの方針からマネージャーを始めオフィス勤務の人たちもダイニングホールで私達にコーヒーを注ぐサービスをする。 コーヒーを注いでくれたデヴッドに「サンキュー」と礼を言うと「Don`t touch my moustache」(私の口髭に触らないで)と言って私達を笑…